菅田将暉の美しさ
さっき、菅田将暉がダウンタウンはしご酒に出ているのを見た
彼の手紙に感動して涙が出た。
こんなこと僕はこれまでなかった。
本気の思いが伝わってきた。
本気の愛がその文章から、彼の声質から、表情から、そういった全てを総和した表情から、雰囲気から伝わってきた。
そのどれもがつくられたものではなかった。一切の偽りのない表現だった。
文章は決してうまいわけではなかった。
しかし、必死に好きという感情を相手に伝えたいのだという気持ちがつたわってきた。
あれは、だれがみても本物だし、あれを嫌いという人はいないだろう。
美しい。僕は彼を見てそうおもった。
こんな人間をみたのははじめてかもしれない。
いや、みてきていたのかもしれないが、、、、
それは置いといて、彼は魅力的過ぎる。
顔や髪型にタイプはあるだろうが、ひととして彼を嫌う人を僕は想像が出来ない。
美しい。
この一言に尽きる
かっこいいともいえる。
偽りがなく、真っ直ぐで、そして知的で、謙虚だ。
謙虚が大事といわれる
しかし、みんな謙虚でいられない。
いや、建前ではいられても、本心から謙虚でいられるという人はどれだけいるだろうか
ボロが出る。
これが、みんなだ。僕もそうだ。
すこしでも、心のそこで相手を下に見ていたり、自分に慢心していると、
ふとした仕草、表情、ことば、伝え方、それらを総和とした雰囲気からなにか
つくったような一瞬がかいまみられてしまう。
だから嘘はやっぱりよくない。
これは、道徳的なはなしではなく、うそは自分的にもふりだよってはなしで、、
だからと言って、自分が下に思う大物俳優を馬鹿にするのもまたちがう。
だって、評価されて、実際には凄いところがあるからだ。
つまり、それは、自分の立ち位置の把握が間違っている。
あ、べつに大物俳優ではなくても、
その辺の人でも、敬意は払うべきだ。
ぼくは、これをできていないかもしれない。
その辺のホームレスにも敬意が必要だ、これは同情とは違うように感じる。
自分の環境に対する感謝、慢心しない自分の弱さの自覚を無意識にできてこそ、
本心から謙虚でいられるのだ。
そうではないと無理だし、菅田将暉の雰囲気は出ない。
彼がどの様なじんせいを歩み、今に至るのかはわからないが
美しい。
美しさを人が感じるのは、偽りのない本物をみたときだろう、
まっすぐで、汚れのないものに触れた時、本物性を感じる。
それはやはり狙って作れるのものではない。
ではどうすれば素直になれるのか、そして、自分の正確な立ち位置を把握できるのだろうか
次のブログで書いていきたいと思う。