プライマーというのをご存じでしょうか。

 

塗装をするときに、
下処理をしてから最初に塗る下地のことです。


 
プライマーを塗ってから、
サーフェイサー、上塗り、クリア塗装と塗り重ねることで、
美しい色を塗り上げることができるそうです。

 


私は、私の夫の、人との関わり方が、
この塗装の工程に似ている気がしています。

 

 

 

夫は、普段、
「いってきます」「ただいま」などの
挨拶をしません。

 

 

平日は、
会社へ行くというのはわかります。

 

でも、休日にひとりで出かける時も、
黙って行ったり帰ってきたりします。

 

まあそういう家はありますよね。

 

年末年始、お盆の休みの期間は、
教えてくれますし。

 

 

ただ、夫が病気の時や具合の悪い時も、
何も言わないまま寝ていたりします。

 

 

だから
「なんで今日ずっと寝てるんだろう」
なんて思ったりします。

 

 

「大丈夫?」と聞かれるのも嫌がるので、
うっかり声もかけられません。

 

 

また、息子から
「来週お父さんとライブ行くよ」

と聞くこともあります。

「じゃあその日、

 父と息子の夕飯いらないじゃん」
ということもあるので、

知らせてほしいとも思います。

 

 

 

どうも夫は、
自分の行動や予定を、
家族に知らせたくないようなのです。

 

 

夫の育った環境が、
日常的な声かけをしないものだったようです。

 

 

逆に私は、実家では、
「ちょっと出かけてくる」「お風呂わいたよ」
と、声かけする家でした。

 

 

結婚当初は夫から、
「いちいち言わなくていい」と
言われたこともありました。

 

 

 

夫にとっては、
「自分は、自分の好きにしていたい」
「いちいち家族に知らせる必要はない」
ということなのでしょう。

 

 

予定を聞かれたりすることも、
干渉や管理、見張られてる、

みたいに感じるようです。

 

 

 

でも、
実はそういった日常の
どうでもいいような意味のない会話
が、


塗装で言うところの
下処理やプライマーになるのではと思うのです。

 

 

夫は、休日になると時々、
「どこか出かけよう」と言い出したり、


「何が食べたい?」「どこ行きたい?」と
子どもに聞いたりします。

 

 

それは一見、
家族の時間を大切にしているようにも見えます。

 

 

けれど、それは、
下地なしにいきなり上塗りやクリア塗装を
しようとしているように感じます。


日常的な声がけや会話というのは、
お互いに「ここにいるよ」という存在を、
確認する意味もあるのだと思います。

 

 

そういうやりとりがないと、
家族との関係性も、
どこか薄くなってしまうような気がするのです。

 

 

休日やイベントの時だけで

関係性を築こうしても、
 

下地がないため、

すぐ剥がれてしまうでしょう。

 

 

年に数回やってくる親戚のおじさんから
「どこか連れて行ってあげよう」と
言われるようなものではないでしょうか。

 

 

夫が、そんなふうであるのには、
それなりの事情があるのでしょう。

 

 

ただ、美しい塗装には下地があるように、
人との関係にも
「いってきます」や「ただいま」のような、
日常の小さなやりとりがあるのではないか

と思うのです。

 

 

 

 

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少し深掘りした記事などを書きすすめています。

 

よければぜひ、

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「受けたいけど、お金がない…

セッションを受けるかどうか、
お客様とご相談したときのことです。


 

彼女は、夫が浮気をして、
お子さんおふたりいるなか、
離婚するかどうかの瀬戸際でした。

 

夫のことがショックで、
精神的に不安定になり、
医者にかかり、仕事を休んでいたそうです。

 

 

 

(なんとか、力になってあげたい)

 

短期間にして価格を下げようか、と思いました。

 

 

すべて良くならなくても、
少しは助けになるかもしれない。

 

 

 

「一カ月だけ、
 あるいは一週間だけでも、してみますか?」
と提案しました。

 

 

しばらく悩んだ末の返事は、
「やめときます」でした。

 

 

 

そうだろうな、と思いました。

 

経済的に苦しい人には、
いくら価格を下げても、
苦しいことは変わりない。

 

 


もし、少しでも受けられていたら、
何かは変わったのかもしれません。

 


けれど、その方は
「受けられなかった」のです。

 

 

 

今思えば、そのこと自体が、
その時の、その方の、

課題だったのだと思います。

 

 

「受けたいものがあるけど、
 お金がなくて、受けられない」ということ自体が。

 

 

 

セッションを受ける目的は、
旦那さんのことでした。

 

 

でも、その悩みの前に、すでに、
「受けたくても受けられない」状態であることが、

彼女にとって、
まず向きあう必要のある壁だったのではないか。

 

 

もし、今、そういった方に出会ったのなら、
たとえセッションを受けられなくても、

向きあうことになっている壁を、
そっとお伝えできるのではないかと思います。

 

 

 

 

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少し深掘りした記事などを書きすすめています。

 

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「起業したかった」のだと思っていました。
でも本当は、違ったのかもしれません。

 

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「うらやましいなあ。
 私もあんなふうになりたい」

 

知り合いに紹介してもらった癒し系サロン
 

 

ふだんの腸活の活動のほかに、
講師を招いて、

腸活や風水の講座を開いたりもしています。

 

 

 

「私も…」と、
以前の私なら、思っていました。

 

だからこそ、
起業塾に入ったり、コンサルにお願いしたりして、
起業しようと頑張ったのです。

 

 

でも、できなかった

 

 


お客様ひとりひとりに向き合いつづけること。
SNSで発信しつづけること。
そして、稼ぎ続けること。

 

それらがつらくなり、苦しくなり、
続けられなくなりました。

 

 

 

できなかった、ということは、
違ったのかもしれない

 

 

そんなふうにも感じました。

 

 

ほかの人のように、
発信して、集客して、セッションを回したかった
わけじゃなかったのかもしれない。

 

 

 

そして今も、憧れはするけれど、

 

私は、
サロンを開きたいわけじゃないのかもしれない。

 

 

 

……………

 

 

 

じゃあ、私は、
何に憧れていたんだろう?

どうなりたかったんだろう?

 

 

 

とりあえず、
自分でお金は稼ぎたかった。

 

そして、お金を稼ぐには、起業すること。

起業するには、自己流は難しい。

 



だから、
起業の方法やサロンの開き方を、
知ってる人から学ぶほうがいい。

 

 


それも、起業のひとつの形

 

でも、
それをしなければ起業できない、
というわけでもない。

 

 

 

そもそも、私はどうして、起業したかったのか。

 

 

自分でお金を稼ぎたかったのは、理由のひとつ。
けれど、きっとそれだけじゃない。

 

 

私は、
生き方を変えたかったのだと思う。

 

 

「あんなふうになりたい」を突き詰めれば、
それは「あんなふうに生きたい」という願いだった。

 

 

私は「働き方」に憧れていたのではなく、
生き方が回っている人
惹かれていたのだと思います。

 

 

 

自分の好きなことをして、
自分に合った場所で、
人もお金も回っていく。

 

そんな生き方に、憧れていたのです。

 

 

 

……………

 

 

 

でも、
そういう生き方を目指そうとすると、
多くの場合、「起業」に行きつきます。

 

 

起業塾やコンサルタントで、うまくいく人もいます。

 

 

では、うまくいかなかったら?

 

努力が足りなかったのか。
能力がなかったのか。

 

 


それもあるかもしれません。
でも、それだけじゃない気もします。

 

 

「私は何をしたいのか」
「私はどう生きたいのか」

 

そこをもっと突き詰めていくと、
本当に自分がしたいことが見えてくるはず。

 

 

そして、それを実現するための
自分に合った“方法”も現れてくるのではないでしょうか。

 

 

 

……………

 

 

 

私は、何もできなくなった時期を超えて、
もう一度、自分と向き合ってみました。

 

 

そこで、見つけたのが、
「自分の考えを文章にしたい」という気持ちでした。

 

 

起業塾に所属していた頃は、集客のために、
「どんな悩みが」
「どうすることで」
「どう解決できたか」
を書くように言われていました。

 

 

 

でも、自分と向きあうなかで、
私はすでに、
「悩んだままでもいい」という視点
持っていることに気づいたのです。

 

 

そして私は、
悩んだり、揺れたりしている自分を、
そのまま記事に書き始めました。

 

 

書きつづけるうちに、
自分が何をしたいのか
どんな思想を軸に生きているのかが、
少しずつハッキリしてきました。

 

 

そして、こんなふうにも思うようになりました。

「こんな悩み相談や、起業塾があったらいいな」と。

 

 

……………

 

 

 

最初は、ただそう思っただけで、
具体的な内容はまったくありませんでした。

 

 

でも、少しずつ、ひとつずつ、
「こうだったらいいな」と思うことを
書き出していきました。

 

 

そうしていくうちに、
「これならできそう」というセッションの形が、
少しずつ見えてきました。

 

 


きっと、今までにはなかった、
私だけのセッションだと思います。

 

 

なぜなら、それは、
フォーマットやマニュアルから作ったものではなく、
私の生き方から生まれてきたものだからです。

 

 

自分の生き方を形作っている、核のような部分に、
はじめて触れられた気がしました。

 

 

何かを作ったというより、
自分の中にあったものを、
やっと言葉にできたのだと思います。

 

 

いまは、その感覚を大切にしながら、
対話を続けています。

 

 

 

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※「相談者だった私」シリーズ
—相談していた当時には見えなかった「心の構造」を、
 今、言葉にしています。

 

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「想い通りになってもいいし、

 ならなくてもいい。


 “どっちでもいい”っていうのが、

 幸せな状態なんです」

 

 

「そうか…!」



以前、悩み相談をお願いしていた、
ある姉妹メソッド提供者の言葉に、
私は「なるほど」と思いました。

 


 

それまでの私は、
「なるべく自分の想い通りになることが、幸せ」
と思っていました。

 

 

だから、その考え方を知って、
想い通りになることに、こだわりすぎてた
ということに、気づきました。

 

 

結果が「想い通りになると」幸せ。
「想い通りにならない」とイヤ。

 

 

 

でも、

世の中「想い通りにならない」こともある。

 

 

想い通りにならなかったことが、
あとから意味を持つこともある。

 

 

かえって良かったかも、と思えることもある。

 

 

想い通りになっても、ならなくても、
それを、自分がどう受け止めるか、なんですよね。

 

 

 

ところが、その姉妹メソッドとの契約中、
フォローのやり取りで、
どうも納得いかないモヤモヤが多くありました。

 

 


寒いのにエアコンをつけない夫のことで
相談すると、
あなたが働きかけることです」と言われる。

 

 


夫が、子どもの髪を切る時、
ケープをつけないから、
切った髪が服について大変。

 

だから、ケープをつけるよう夫に話したら、
頑なに自分のやり方を通そうとしたので、
私が譲歩したことについて伝えました。

 

 

すると、
あなたは夫の優しさを受け取れていない」と言われる。

 

 

 

 

結局、——私?

 

結果は、
「どっちでもいい」はずじゃなかったの…?

 

 

 

 

姉妹メソッドが言っていたのは、
結果がどうなっても、どっちでもいい
という考え方だったはずです。

 

 

けれど、やり取りの中では、
「どんな結果」を報告しても、
「それでいい」と受け取られることはありませんでした。

 

 

対処法が示され、
すでに私が対処していた場合には、
その出来事の責任を問われる。

 

 

気づけばいつも、
「私」が、まだ整っていない側に置かれていました。

 

 

そしていつの間にか、
「私」「どこか足りない存在」として扱われていたのです。

 

 


それって、
本当に「結果はどっちでもいい」
ということだったのでしょうか。

 

 

 

 

契約期間中、

私はずっとモヤモヤしていました。
 

 

けれど、

その正体が何なのかは分かりませんでした。

 

 

今なら
「そういうことだったのかな」
納得できる気がしています。

 

 

 

姉妹メソッドからは、
「どんな結果」も認められることはありませんでした。

 

 

でも、今の私は、
「どんな結果」でもいい、と自然に思えています。

 

 

それが、
私にとっての「どっちでもいい」なのかもしれません。

 

 

 

 

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私の意識が変わったのは、
「何かを学んだ」からではありません。

 

 

「ひとりで頑張り続けること」に、
体も心も、限界がきたからです。

 

 

 

「全部ひとりでやらなければならない」

そういう自立は、

私を強くはしませんでした。


ただ、孤独になったただけでした。

 

 

私の描いていた「自立」は、
実は、「孤立」だったのです。

 

 

………………

 

 

私が、夫が稼いだお金を使うことに、
特に罪悪感を感じなくなったのは、
「依存」になったからではありません。

 

 

むしろ、
夫に対する「対等な感覚」が育ったのです。

 


夫は会社で働いている。
私は家で働いている。

 

子どもの面倒は、私のほうが見ている。


光熱費や家のメンテナンスは、

夫のほうが詳しい。

 

それぞれが、それぞれに働いている。
どちらかが欠けても、どちらも困ることがある。

 


家族という「共同体」が、
夫の仕事の対価であるお金で生活している。

 

 

そして、その共同体を、
私は日々、支えている。

 

 


そういうことなのだ。
と、私のなかで、腑に落ちたのです。

 

 

………………

 

 

本当の自立というのは
「誰にも頼らないこと」ではありません。

 

 

自分に難しいことは、誰かに頼る。
これお願い、とぜんぶ任せるときもある。

 

 

互いに互いが、
できることと、できないことがあり、
できる時も、できない時もある。

 


その選択を、自分の意志で選べることも含めて
自立だと思うのです。

 

 

 

——それに、

よく考えてみると、その姉妹メソッド提供者も、
姉妹ふたりで活動しています。
 
「ひとり」ではありません。

 

 

………………

 

 

もし、私が理想の家を建てたら、

きっとそこは、
私の子どもたちも、

子どもたちの子どもも、


家族も友達も、

訪れてくれる場所だと思うのです。

 


私の夢である「家」を建てることは、


私のためだけど、
私だけのためじゃない。

 

そう思うのです。

 

 

 

「ひとりで」立とうとしていた私は、
「ひとりで」を降りたとき、
ようやく本当の意味での自立を知りました。

 

 

 

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