カウンセリングもリーディングも

できるようになった。


効果的なおまじないみたいな言葉も

手に入れた。

 

私自身はそれで、良い方へ向かいました。



でも、
肝心の夫や実家の家族の状況は、

変わらないまま……。

 

 

自分は変わっているのに、現実は変わらない。

 

「一体これ以上何をすればいいのか」

 

 

行き詰まりを感じていた時、
友人から「とある宗教に入った」と聞きました。

 

なんでも入信者たちには、
「奇跡のように良いことが起きている」と言います。

 

 

事故に遭っても怪我ひとつなかった。
家族が手術をして、術後、痛みもなく過ごせた。
など。

 

 

私は「これかもしれない」と思い、
友人を通じて入信しました。

 

 

仏教を土台とした団体で、

会費も数百円程度。
 

勧誘のノルマなどもなく、
金銭的な負担はほとんどありませんでした。

 

 

大切なのは「徳を積むこと」「教えに委ねること」。
法要の手伝いや参加もしました。

 

希望すれば悩み事を相談できるので、
何回か相談をお願いしました。

 

また、紹介してくれた友人を通じて、
世話役さんのような方にも、
話を聞いてもらったりもしました。

 

 

すると、悩みの原因は、
ほぼ「霊的なもの」という答えが多いことに

気づきました。

 

 

 

それなら、悩みを解決するには、
どんなことをすればいいのか?


そう尋ねると、読経やお布施、
団体の活動に関わることを勧められます。

 

ちなみに、お布施は高額ではなく、
本人の希望で、無理しない範囲でいいそうです。

 

 


それはいいのですが、
悩みに対して直接の対処法が示されないことに、
私は少し疑問を感じました。

 

 

霊的なことが原因というのは、
実際にそうなのかもしれません。

 

けれど、悩みそのものに対して
「どうしてその悩みが起きているのか」
「それならこう働きかけてみよう」
といった解釈がなされないのです。

 

 

「入信してから変わった」と言う人に、
どうして変わったのか、
何がどんな風に変わったのか、と尋ねても、

 

返ってくるのは
「いつのまにか変わってた」という答えでした。

 

 

これが「他力本願」「委ねる」ということなのかな?
と考えてしまいました。

 

 


確かに、お任せするだけで物事が良くなるのなら、
これほど楽なことはありません。

 

 

でもその場合、悩んでいる人から
相談された時にはどうすればいいのでしょうか。


「入信すれば良くなるよ」としか言えないのではないか、
と思ったのです。

 

 

実際、その団体では「人のために」が
徳を積むひとつの方法です。

 

では具体的に
「人のために」何をするのかというと、
入信を勧めることになってしまうのです。

 


相談している側からすれば、
悩みについて意見や見方を聞きたいはず。

 

それがどうして、
「入信すればいい」「念仏を唱えればいい」
ということになるのか理解し難いでしょう。

 

 

霊的なことは証明のしようがないので、
そうだと言われればそうなのかもしれません。

 

ただ、
すべての解釈が霊的なものになってしまうと、
自分としてできることが、宗教的なこと以外には
何もなくなってしまうのではないでしょうか。

 

 

 

悩みの解決を、
自分以外のものに任せるということ。

 

それは、
自分で考えることをやめてしまうという危うさを、
はらんでいるように感じました。

 

 

とはいえ、
自分ではどうしようもない力があるとしたら、
それはどうしようもないことです。

 

そういったことは霊的なものに任せつつ、
自分でも悩みに対処できる力
つけていきたいと思いました。

 

 

それが、私にできる現実的な関わり方だと感じています。

 

 

 


 

人が「救われたい」と思うとき、
そこに、どんな構造があるのかについては、
こちらにも書いています。
「救いの構造 ― 頑張っているのに報われない理由」

 

 

 

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noteでは、他にもちょっとした気づきや

少し深掘りした記事などを書きすすめています。

 

よければぜひ、

noteもご覧くださいね。

 

 

 

 

「自分は、

 家族を持つような人間じゃなかった」

 


夫がこんなことを言った、と
悩むご相談者さんがいました。

 

かく言う私も、夫から
同じようなことを言われたことがありました。

 

 

なんというか、
肩すかしをくらったような感覚でした。

 

それなら、今現在、
家族として目の前にいる私たち家族は、
あなたにとって一体なんなのか、と。

 

 

私だって、
妻として、母親として、家族として、
「どうしたらいいんだろう」と悩みました。

 

 

でも、
その悩み方は間違っていた、と、
今は思います。

 

 

 

夫と、子どもと、家族と、
対峙するときに問われていたのは、

いつだって「自分自身」だったのです。

 

 

「自分という人間の生き様」を
変えようとしないかぎり、

 

妻としても、
母親としても、
家族としての関係も、変わらない。

 

そんな風に思います。

 

 

 

いつまでも変わらない、
変えられない、という人は、

 

「自分自身」以外の肩書や役割から、
抜け出せないせいかもしれません。

 

 

 

妻として、母親として、
夫として、父親として
そして、家族として、

 

「コレじゃダメだ」
「どうしたらいいんだろう」
と悩んでしまう時は、

 


むしろ、
自分自身のあり方そのものを、
見つめ直すべき時だと思うのです。

 

 

「自分自身」としてのあり方が変わると、
妻として、

夫として、

母として、

父として、

 

そして、家族としての

「自分らしいあり方」が、
少しずつ見えてくるはずなのです。

 

 

 

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noteでは、他にもちょっとした気づきや

少し深掘りした記事などを書きすすめています。

 

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プライマーというのをご存じでしょうか。

 

塗装をするときに、
下処理をしてから最初に塗る下地のことです。


 
プライマーを塗ってから、
サーフェイサー、上塗り、クリア塗装と塗り重ねることで、
美しい色を塗り上げることができるそうです。

 


私は、私の夫の、人との関わり方が、
この塗装の工程に似ている気がしています。

 

 

 

夫は、普段、
「いってきます」「ただいま」などの
挨拶をしません。

 

 

平日は、
会社へ行くというのはわかります。

 

でも、休日にひとりで出かける時も、
黙って行ったり帰ってきたりします。

 

まあそういう家はありますよね。

 

年末年始、お盆の休みの期間は、
教えてくれますし。

 

 

ただ、夫が病気の時や具合の悪い時も、
何も言わないまま寝ていたりします。

 

 

だから
「なんで今日ずっと寝てるんだろう」
なんて思ったりします。

 

 

「大丈夫?」と聞かれるのも嫌がるので、
うっかり声もかけられません。

 

 

また、息子から
「来週お父さんとライブ行くよ」

と聞くこともあります。

「じゃあその日、

 父と息子の夕飯いらないじゃん」
ということもあるので、

知らせてほしいとも思います。

 

 

 

どうも夫は、
自分の行動や予定を、
家族に知らせたくないようなのです。

 

 

夫の育った環境が、
日常的な声かけをしないものだったようです。

 

 

逆に私は、実家では、
「ちょっと出かけてくる」「お風呂わいたよ」
と、声かけする家でした。

 

 

結婚当初は夫から、
「いちいち言わなくていい」と
言われたこともありました。

 

 

 

夫にとっては、
「自分は、自分の好きにしていたい」
「いちいち家族に知らせる必要はない」
ということなのでしょう。

 

 

予定を聞かれたりすることも、
干渉や管理、見張られてる、

みたいに感じるようです。

 

 

 

でも、
実はそういった日常の
どうでもいいような意味のない会話
が、


塗装で言うところの
下処理やプライマーになるのではと思うのです。

 

 

夫は、休日になると時々、
「どこか出かけよう」と言い出したり、


「何が食べたい?」「どこ行きたい?」と
子どもに聞いたりします。

 

 

それは一見、
家族の時間を大切にしているようにも見えます。

 

 

けれど、それは、
下地なしにいきなり上塗りやクリア塗装を
しようとしているように感じます。


日常的な声がけや会話というのは、
お互いに「ここにいるよ」という存在を、
確認する意味もあるのだと思います。

 

 

そういうやりとりがないと、
家族との関係性も、
どこか薄くなってしまうような気がするのです。

 

 

休日やイベントの時だけで

関係性を築こうしても、
 

下地がないため、

すぐ剥がれてしまうでしょう。

 

 

年に数回やってくる親戚のおじさんから
「どこか連れて行ってあげよう」と
言われるようなものではないでしょうか。

 

 

夫が、そんなふうであるのには、
それなりの事情があるのでしょう。

 

 

ただ、美しい塗装には下地があるように、
人との関係にも
「いってきます」や「ただいま」のような、
日常の小さなやりとりがあるのではないか

と思うのです。

 

 

 

 

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「受けたいけど、お金がない…

セッションを受けるかどうか、
お客様とご相談したときのことです。


 

彼女は、夫が浮気をして、
お子さんおふたりいるなか、
離婚するかどうかの瀬戸際でした。

 

夫のことがショックで、
精神的に不安定になり、
医者にかかり、仕事を休んでいたそうです。

 

 

 

(なんとか、力になってあげたい)

 

短期間にして価格を下げようか、と思いました。

 

 

すべて良くならなくても、
少しは助けになるかもしれない。

 

 

 

「一カ月だけ、
 あるいは一週間だけでも、してみますか?」
と提案しました。

 

 

しばらく悩んだ末の返事は、
「やめときます」でした。

 

 

 

そうだろうな、と思いました。

 

経済的に苦しい人には、
いくら価格を下げても、
苦しいことは変わりない。

 

 


もし、少しでも受けられていたら、
何かは変わったのかもしれません。

 


けれど、その方は
「受けられなかった」のです。

 

 

 

今思えば、そのこと自体が、
その時の、その方の、

課題だったのだと思います。

 

 

「受けたいものがあるけど、
 お金がなくて、受けられない」ということ自体が。

 

 

 

セッションを受ける目的は、
旦那さんのことでした。

 

 

でも、その悩みの前に、すでに、
「受けたくても受けられない」状態であることが、

彼女にとって、
まず向きあう必要のある壁だったのではないか。

 

 

もし、今、そういった方に出会ったのなら、
たとえセッションを受けられなくても、

向きあうことになっている壁を、
そっとお伝えできるのではないかと思います。

 

 

 

 

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よければぜひ、

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「起業したかった」のだと思っていました。
でも本当は、違ったのかもしれません。

 

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「うらやましいなあ。
 私もあんなふうになりたい」

 

知り合いに紹介してもらった癒し系サロン
 

 

ふだんの腸活の活動のほかに、
講師を招いて、

腸活や風水の講座を開いたりもしています。

 

 

 

「私も…」と、
以前の私なら、思っていました。

 

だからこそ、
起業塾に入ったり、コンサルにお願いしたりして、
起業しようと頑張ったのです。

 

 

でも、できなかった

 

 


お客様ひとりひとりに向き合いつづけること。
SNSで発信しつづけること。
そして、稼ぎ続けること。

 

それらがつらくなり、苦しくなり、
続けられなくなりました。

 

 

 

できなかった、ということは、
違ったのかもしれない

 

 

そんなふうにも感じました。

 

 

ほかの人のように、
発信して、集客して、セッションを回したかった
わけじゃなかったのかもしれない。

 

 

 

そして今も、憧れはするけれど、

 

私は、
サロンを開きたいわけじゃないのかもしれない。

 

 

 

……………

 

 

 

じゃあ、私は、
何に憧れていたんだろう?

どうなりたかったんだろう?

 

 

 

とりあえず、
自分でお金は稼ぎたかった。

 

そして、お金を稼ぐには、起業すること。

起業するには、自己流は難しい。

 



だから、
起業の方法やサロンの開き方を、
知ってる人から学ぶほうがいい。

 

 


それも、起業のひとつの形

 

でも、
それをしなければ起業できない、
というわけでもない。

 

 

 

そもそも、私はどうして、起業したかったのか。

 

 

自分でお金を稼ぎたかったのは、理由のひとつ。
けれど、きっとそれだけじゃない。

 

 

私は、
生き方を変えたかったのだと思う。

 

 

「あんなふうになりたい」を突き詰めれば、
それは「あんなふうに生きたい」という願いだった。

 

 

私は「働き方」に憧れていたのではなく、
生き方が回っている人
惹かれていたのだと思います。

 

 

 

自分の好きなことをして、
自分に合った場所で、
人もお金も回っていく。

 

そんな生き方に、憧れていたのです。

 

 

 

……………

 

 

 

でも、
そういう生き方を目指そうとすると、
多くの場合、「起業」に行きつきます。

 

 

起業塾やコンサルタントで、うまくいく人もいます。

 

 

では、うまくいかなかったら?

 

努力が足りなかったのか。
能力がなかったのか。

 

 


それもあるかもしれません。
でも、それだけじゃない気もします。

 

 

「私は何をしたいのか」
「私はどう生きたいのか」

 

そこをもっと突き詰めていくと、
本当に自分がしたいことが見えてくるはず。

 

 

そして、それを実現するための
自分に合った“方法”も現れてくるのではないでしょうか。

 

 

 

……………

 

 

 

私は、何もできなくなった時期を超えて、
もう一度、自分と向き合ってみました。

 

 

そこで、見つけたのが、
「自分の考えを文章にしたい」という気持ちでした。

 

 

起業塾に所属していた頃は、集客のために、
「どんな悩みが」
「どうすることで」
「どう解決できたか」
を書くように言われていました。

 

 

 

でも、自分と向きあうなかで、
私はすでに、
「悩んだままでもいい」という視点
持っていることに気づいたのです。

 

 

そして私は、
悩んだり、揺れたりしている自分を、
そのまま記事に書き始めました。

 

 

書きつづけるうちに、
自分が何をしたいのか
どんな思想を軸に生きているのかが、
少しずつハッキリしてきました。

 

 

そして、こんなふうにも思うようになりました。

「こんな悩み相談や、起業塾があったらいいな」と。

 

 

……………

 

 

 

最初は、ただそう思っただけで、
具体的な内容はまったくありませんでした。

 

 

でも、少しずつ、ひとつずつ、
「こうだったらいいな」と思うことを
書き出していきました。

 

 

そうしていくうちに、
「これならできそう」というセッションの形が、
少しずつ見えてきました。

 

 


きっと、今までにはなかった、
私だけのセッションだと思います。

 

 

なぜなら、それは、
フォーマットやマニュアルから作ったものではなく、
私の生き方から生まれてきたものだからです。

 

 

自分の生き方を形作っている、核のような部分に、
はじめて触れられた気がしました。

 

 

何かを作ったというより、
自分の中にあったものを、
やっと言葉にできたのだと思います。

 

 

いまは、その感覚を大切にしながら、
対話を続けています。

 

 

 

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