2023年11月24日

 

トルコ南東部アナトリア地方のウルファのバザールを満喫した後は、そのまま歩いて預言者アブラハムの聖地と言われる場所に向かいますキラキラ

 

 

アブラハム(イスラームではイブラーヒーム)旧約聖書に出てくる人物で、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の始祖とか信仰の父とか呼ばれてます。

 

ハランという町に住んでいたアブラハムが75歳の時に神の啓示を受けて約束の地カナンに向かったというのは旧約聖書「創世記」の有名な話。

ノアの洪水後に最初に神に選ばれた預言者と言われていて、なんとそのノアの末裔だとも言われているらしい。(アララト山はハランから北東700キロほど)

 

 

 

アブラハムは紀元前2000年頃にウルという町で産まれたとされていて、そのウルは一般的に(英訳版的に?)メソポタミア南部の現在のイラクにあったと言われてるんだけど、イスラームでは「旧約聖書をちゃんと読み解いていくとトルコのウルファだ」という説が根強いらしいのです。

 

ウルファにはそれを裏付けるようなアブラハムに関する言い伝えや伝説が古代から残っていて、地元の人はここがウルだと信じて疑わない。

実際、アブラハムが住んでいたハランウルファのすぐ近くに実在していて、ルート的にもイラク→ハラン→カナンよりは全然現実味があるのかもウインク

 

 

おー、こんな道、こりゃ1人じゃ絶対迷うわアセアセ

 

 

これから訪れるのは、アブラハムが産まれたとされる洞窟と、アブラハムが奇跡を起こしたとされる池

 

 

どうやらここをくぐるともう聖地エリアのようです。

 

 

まずはアブラハム生誕の地とされる洞窟を訪問ルンルン

 

伝説では、当時のアッシリア地方のニムロデ王(King Nimrod・トルコ語でネムルト)が、占星術師の「もうすぐこの土地に偉大な指導者が産まれ、ニムロデの信仰を脅かし、王国を滅ぼすだろう」との言葉を信じて、その年に産まれる全ての新生児の死刑を命じたんだそうガーン

それでアブラハムの母親は洞窟に隠れてアブラハムを出産して、アブラハムは暫くその洞窟の中で育てられたとされている。

(なんかモーセ出生の話と似通ってるなぁ)

 

ちなみにニムロデはバベルの塔の建設を指示した人物とされていて、ノアの曾孫にあたるらしい。という事はアブラハムの祖先にもなるし、ニムロデもヘブライ人って事?

 

さて、その洞窟がこちら下差し

入口はモスクになっていて、男性は右側、女性は左側から入ります。

 

 

入って直ぐに靴を脱いで裸足になります。

アブラハムの洞窟に行く事は知ってたけど、モスクになってるなんて知らなかった(←勉強不足だし少し考えればそりゃそうだわ泣き笑い)から、スカーフを持ってきてなかったアセアセ

 

写真に映ってるおばあさまがニコッと手招きしてくれて、横の貸しヒジャブから1枚見立てて丁寧に巻いてくれました。始終無言で爆  笑

 

 

狭い入口を頭を下げてくぐると、中は一気に静寂な空気。

 

 

ガラス越しに見えるのが、アブラハムが産まれたとされる場所下差し

長年の湧き水で現在は水に浸かってしまってるけど、この湧き水は聖なる水とされていて皆さん手足を洗ったり、飲んだり、容器に入れて持ち帰ったり。

 

 

洞窟の中はこんな感じ。

 

 

 

聖なる水をグビグビ飲む聖なる猫笑い泣き

 

 

巡礼を終えて外に出ました。

周りはMevlid-i Halilモスクです。

 


すぐ隣のエリアも行ってみる。デルガ・モスク(Dergah Camii)とも呼ばれてるみたい。

 

 

中には入らなかったけど(入れるのかも知らないけど)、かなり広い敷地。

 

 

奥の丘の上に見えるのがウルファ城

 

 

ここから歩いて向かうのは、バルックル・ギョル(Balıklıgöl)と呼ばれる聖なる魚の池アブラハムの池(Pool of Abraham)とも呼ばれています。

 

伝説では、先ほども出てきたニムロデ王が偶像崇拝に反した一神教信者のアブラハムを火あぶり刑に命じ、丘の上のウルファ城からニムロデが見学する中アブラハムを燃え盛る炎の海に投げ込んだとされていて、その時に火が水に変わり、燃える薪は鯉に変わり、なんならついでに周りは薔薇の園に変わって、アブラハムは助かったと言われている場所。いかにも伝説らしい爆  笑

 

 

とその前に、ルート的に先に寄ったのがアブラハムの池のすぐ横にある小さな池、アイン・ゼリハ(Ayn-i Zeliha Gölü)下差し

こちらは後にニムロデの娘ゼリハがアブラハムの信仰を支持したために薪に投げ込まれて、その時も同じように火が水に変わったとされている場所。

(自分の娘まで火に放り込むんかいっアセアセ

 

 

アイン・ゼリハからこんな道を通って。

 

 

聖なる魚の池バルックル・ギョルに到着キラキラ

 

右側に見えるのはオスマン帝国時代に建設されたルズワニイェ・モスク(Rızvaniye Camii)下差し

このモスクが建つ前にこの場所にはキリスト教会があって、その前にはユダヤ教のシナゴーグがあって、更にその前にも色々な異教の神殿があったらしく、何千年にも渡ってここは一神教の聖地とされてきたみたい。

 

 

いますいます音符 聖なる魚たちうお座

 

この池の魚を釣ったり食べたりすると罰が当たって目が見えなくなる、白い魚を見た人は天国にいける、とかの言い伝えがあるんだって。

残念ながら私はまだ天国に行ける確証を貰えませんでした~泣き笑い

 

(2023年のトルコ南東部大地震で地下水に泥が混ざってこの池も一時的に濁ってしまったようで、鯉は水面付近に集まって無事だったようです)

 

 

ちゃっかり鯉の餌も売ってますよ(笑)

 

 

この男の子が着てるのはトルコの伝統的な割礼の儀式の正装なんだって。

 

 

民族衣装のレンタルもあり。

 

 

端まで来ました音符

右側に見切れているのがハリル=ウル=ラフマン・モスク ( Halil-ur-Rahman Camii)1211年のアイユーブ朝時代にキリスト教会を改築したものらしく、バルックル・ギョルはこのモスクの中庭という位置づけになってるみたい。

 

 

ぐるっと歩いてる時の動画。

 

 

日が沈み始めたところでそろそろ帰路につきます。

 

 

この階段広場上差しの上から振り返ると、先ほどまで居たバルックル・ギョル洞窟のエリアの向こうにウルファ城と城壁跡が見えた下差し

 

 

丘の上に現在も残っている2本の背の高い石柱は紀元前2世紀ごろのもので、城壁は後の814年にアッバース朝が建てたものだって。

ウルファ城自体はオスロエネ王国時代(紀元前132年‐244年)に建てられたとされているけど、その元の城はヒッタイト時代に遡るらしく、なにせとてつもなく古いということ。

前述の1万1千年前のウルファマンが発見されたのもこの少し北辺り。

 

それにしても、こう見るとアブラハムが産まれたとされる洞窟は王が居たウルファ城の真下びっくり

こんな近くで隠れるものかな?灯台下暗し?

 

 

全く方向感覚が分からないままとりあえずガイドのTahaに付いて暫く歩いてると、バザールに行く前に車を停めた駐車場の入り口の見覚えのある場所に出た。

 

 

旧市街の、ホテルまでの道のり。

 

 

この日は夕食の写真撮ってました!

近くのレストランで、またもやケバブ。今回はチキンで。

これがまた最高に美味しかった~チュー 

やっぱりラム肉よりチキンの方が良いわ(笑)

 

 

トルコ・シャンルウルファの観光初日は、ギョベクリテペ・バザール・アブラハムの聖地と盛りだくさんで大満足の日となりましたイエローハーツ

 

翌日はギョベクリテペの姉妹サイトと言われているカラハンテぺと、旧約聖書にも出てくるハラン(ハッラーン)を訪れます。

道中色々と寄り道もして、これまた盛りだくさんの1日になりますルンルン