2023年11月24日

 

前回のギョベクリテペの記事の続きです音符

長編ですアセアセ

 

一般公開されている部分は白いドーム状の屋根で覆われていて周りをぐるっと歩けるようになっているので、ガイドのTahaの説明を聞きながら一周します。

(その後自分でゆっくりもう1週した爆  笑

 

 

ギョベクリテペには石を直径10~30mの円形に2重に積み上げて築かれたエンクロージャーと呼ばれるエリアが20個程あって、一般公開されている4つのエンクロージャーはA-Dと振り分けられています。

それぞれのエンクロージャーにはT字型の石柱が円形状に並べられていて、中心部には一際大きな石柱が2つ。

石柱にはあちこちに動物や昆虫のレリーフが掘られていて、一般公開エリアにある石柱にはピラー(柱)番号が振り分けられてる。

 

(画像は拝借)

 

まずは目の前にあるエンクロージャーCから、反時計回りに見ていきますよルンルン

(とても全部は載せきれないので、見やすかったものや気になったものだけ)

 

 

エンクロージャーC


直径約25メートルの2重の石壁に囲まれたエリア。不思議なことに、内壁は外壁よりずっと後に追加されたらしい。結構壊れてしまってるけど、周りを囲む石柱も元々はもっと多かったんじゃないかな。

 

 

ここで一際目を引くのが27番の柱下差し

イノシシを狩るライオンと言われているらしいけど、ここで言うライオンしし座は当時この辺りに生息していたネコ科の捕食動物で今は絶滅しているんじゃないかって。

 

こういったレリーフは何かしらの守護神を表しているというのが有力な説らしい。

これが一万年も前のものだなんて~目がハート

 

 

なんだか狛犬みたいと思ってちょっと調べたら、狛犬はペルシャ方面からインド・中国を経て数千年前に伝わったライオン(獅子)を想像して造った像だと言われてて、沖縄のシーサーも同じルーツらしい。中央アジアでもそっくりのものを見たので、シルクロードを通って伝わったのかなキラキラ

さらに遡ればメソポタミア神話・ギリシャ神話・エジプト神話に出てくるスフィンクスも同じ祖先を持つようなので、それより倍古いギョベクリテペにもあるって事は、更に太古にアフリカから移動してきた人類がライオンを崇めていたのかもしれないって思うとワクワクしてくるニコニコ

(アフリカ単一起源説はちょっと違うと思うけど)

 

こちらの13番の柱下差しには鳩サブレみたいな可愛いがたくさん鳥

その背景にある網状の模様は水(知恵や生命を表すヘビ)だという説も。

下の方には繁殖のシンボルとされるイノシシいのししと、神の使いと言われるキツネの姿も。

 

 

ここからは近年言われ始めた説なんだけど、イノシシの右上にある穴上差し天体観測用の覗き穴の可能性があるとか。それも、天の川にある白鳥座の最も明るい星であるデネブが見えるよう設計されていたと。

 

それぞれのエンクロージャーは少しずつ造られた時代が違うんだけど、各々にこういう穴のある石柱があって、その角度が少しだけずれている。それは、何千年もの間にデネブの位置が少しずつ西にずれてきたためにそれに合わせて建設し直した可能性があるというんですびっくり

 

そして、小鳥天体を表すとされて、網目模様は流星群イノシシとかキツネといった動物も星座を表していて、これはおうし座流星群を表していると読めるんだそう。

 

これが本当ならとんでもなく高度な天文学の知識があったって事ですよびっくり

一般的に天文学が最初に確認されたのは紀元前3000年頃というのが定説だけど、それもシュメール文明、つまりメソポタミアの栄えたこの土地のこと。それより遥か昔の古代からこの土地にそういった知識があったとしておかしくはないのかもしれない。だけど、文字も持たない石器時代の狩猟民族がどうやって?あんぐり

 

 

先ほどのライオンの石像のすぐ右隣りにある28番の柱には、こんな模様が下差し

右の写真はオーストラリアの先住民アボリジニのある民族のシャーマンのボティーペイント。これもやばくないですか?

上の27番の柱にあるライオンのレリーフの脇腹にある3本線も似てるし。

 

(画像は拝借)

 

この他にもチュリンガ(Churinga)と呼ばれるオーストラリア原住民の祭祀物にはギョベクリテペのレリーフに似た模様が多数あるそうで、ギョベクリテペを作ったのはアボリジニだという説を唱える人すらいるみたい。

個人的には同祖説を唱えたいけどねウインク

 

ここでは横になってるけど、下の方のHの文字のような模様は神・神の世界を表しているという説もあるらしい。これは後の色んな文明にも共通してて、飛躍しすぎかもしれないけど私には鳥居神社もHの形に見える。

 

エンクロージャーD

ギョベクリテペのエンクロージャーは年代が若くなるほど小型化されているらしく、ここは一番古くて一番大きいエンクロージャー。

中央の2柱は高さ6メートルで重さは20トンにもなるそうびっくりマーク

(Tahaの説明をメモったのを一生懸命見直しながら書いてます)

 

 

これはTahaに貰った発掘作業中の写真。

人が居ると石像の大きさが分かりやすい。

 

 

向こう側は31番の柱で、手前が18番の柱下差し

他のT字型の石像と違うのが、明らかに擬人化された装飾があるところ。

何故か顔は描かれてないんだけど、南向きにやたら細長くてバランスの悪い腕がある。

 

 

18番の柱をズームしてみると、ベルトのようなものに三日月マークに挟まれた(神を表す)Hのような文字が見える。

前の部分はキツネの毛皮のふんどしという説らしい。

指もちゃんと5本あって、これは擬人化された神というのも納得かも。

 

 

足元の台座には7羽の小鳥下差し

このという数字も後世に生まれる様々な信仰や宗教にとって重要な数字なんだけど、ここの7羽の鳥プレアデス星団(昴)の肉眼で見える7つの星星を表しているのではないかとの研究が出てるらしい(この時代は肉眼でも7つ見えたとか)。

Wikiによると、プレヤデス星団 は、おうし座の散開星団。また出たおうし座

 

 

太陽と月と肉眼で見える5つの惑星っていう説もあって、2重の意味があるのかもしれない。

日本でも神世7代とか七福神とかあるし、神様の事をで数えるし、偶然とは思えなくてどんどんロマンが広がっていく目がハート

 

 

こちらの33番の柱下差しの左面には背の高い2羽の鳥、右面にはキツネが刻まれていて、それぞれの体からヘビヘビが出てきて前方で頭が揃ってるように見える。

 

 

前方には更にヘビと、その上下にクモが1匹ずつ。その上にはHも。

キツネは水瓶座背の高い鳥2羽は魚座を表している可能性が高く、ヘビは流星群で、またまたおうし座流星群を表していると。

 

 

更に最近言われ始めた説では、クモは死を表していて、側面のヘビは洪水前方のヘビは彗星を表していて、つまりこれは約1万3千年前の天変地異(彗星衝突)を表していると言うのですびっくり

 

そして繋がっていくのが、43番の柱下差し

この柱はバルチャーストーン(ハゲワシの石)と呼ばれていて、今のところギョベクリテペで一番有名で一番解読が進んでるレリーフ。

 

 

ある大学の研究チームが、この石柱に描かれた動物が約1万3千年前の彗星衝突当時の星座の位置と一致すると発表したんです驚き

 

この彗星の衝突によって地球は壊滅的なダメージを受けて、それによってミニ氷河期が起こり、この頃にマンモスも絶滅してるらしい。

気温低下で狩猟採集が難しくなって食糧不足に陥った人類が農作物の栽培を始め、用水路をひき、農耕文化の発展そしてメソポタミア文明に発展していったというのが現在の定説。

 

これには生き残った人類が彗星の衝突を後世に残す役割があったのではないかと。

人類にはメソポタミア文明以前にも高度な文明があったけど、一度(もしくは数回)ほぼ滅亡していて、生き残った高度な天文学の知識がある人達がギョベクリテペを残したというトンデモ説を唱える人達もいる。たまらん爆  笑

 

 

(画像は拝借)

 

この石柱のレリーフが更に面白いのが、ハゲワシが持っている丸い球

これは星座に当てはめると天の北極になるけど、この辺りでは古代から鳥葬文化があったそうで、よく見ると直線上のサソリの下に頭の無い人間が描かれているので、丸い球は死者の魂だという説。

鳥葬(空葬)は亡くなった人の遺体をハゲワシに食べさせる事で魂を天に渡すという信仰で、ハゲワシは魂の守護者・運び屋という事になる。

古代ペルシア(イラン)のゾロアスターが起源だと言われてる鳥葬だけど、更に時代を遡った超古代からの信仰だったのかもしれない。

ちなみに鳥葬文化は後々世界中の色んな場所で確認されてるけど、チベットの一部では今でも行われてるとか。

 

更に、サソリ死や冥界を表すので、T字型の境目にあたる横線が地平線で、その線より下が下界、上が天界で、転生・再生の意味もあるのだとか。

縦線は天の川(ミルキーウェイ)

死者の魂が天の川を通って天に上る(帰る)っていう考えは後のいろんな文化に共通してて、天の川にまつわる神話や伝説が世界中にあるのがまた最高に面白い。エジプト、ギリシャ、北欧、ロシア、インド、中国、マヤ、インディアン、そして日本も。

 

そう考えると、13番の柱にあったデネブ(天の川にある星)の覗き穴も意味が深まってくるし、なによりここにある天文学が世界中の信仰の起源、強いて言えば全ての宗教の始まりだったかもしれないと思うとゾクゾクが止まりませんわ飛び出すハート

 

(どんどん調べていくうちに、43番の柱の上部に3つあるカバンの形のようなものも鳥肌ものでもはや意味不明アセアセ)


 

エンクロージャーB

直径約12メートルの小さめのエンクロージャーで、T字型の石像は全部で11本。

 

ここからだとTの上面にボコボコした盃状穴と言われる丸い窪みがくり抜かれているのがよく見える。

これの意味はTahaは分からないって言ってたけど、日本でも古い神社や岩に同じものがあって、縄文時代までさかのぼるらしい。

盃状穴はイースター島やイギリス、マルタ島など世界中でも見つかっていて、さっきの18番の柱なんかモアイ像によく似てるし、イギリスの巨石遺跡といえばストーンヘンジも円形状のエンクロージャーそっくりってのもこれまた熱い。

個人的には月のクレーター(隕石の衝突の跡?)を連想してしまうのは飛躍しすぎかな。

 

この盃状穴、私には凄く見覚えがあって、小さいころ凄く身近にあった気がするんだけどどうしても思い出せなくて。妹に聞いたら妹も「水入れて草や花入れて遊んでたけど何処だったか覚えてない」と。近所の神社か山か川か、身近な遊び場にあったんだろうなぁ。

 

 

あと驚いたのは、ここの床は古代のセメントが敷かれているということびっくり

テラゾーと呼ばれるスタイルの焼いた石灰石と水を混ぜて作った石膏ミックスで平らで丈夫な床を作ったというんです。

他にもビールが醸造された痕跡がある石器が発見されてるらしい生ビール

 

敷地内には鹿・ガゼル・羊・イノシシ・牛(オーロックスという絶滅種)なんかの骨が見つかってるけど、家畜のものは一切なく、農耕民族の証である土器も見つかっていない。という事は紛れもなく石器時代の狩猟採集民族によって造られたものなのに、高度な文明と知識があったとしか考えられないのです目がハート

 

 

 

この10番目の柱キツネは綺麗に残ってる。

ちなみにキツネギョベクリテペ遺跡に刻まれている動物の中でダントツ一番多いそうで、その全てがオスらしい。

ここで神の使いとされるキツネは日本の稲荷信仰にも関係してそう?

 

 

これも最近分かったのが、ここまでのエンクロージャーB・C・Dの中心点を繋ぐと正三角形になるんですびっくりマーク

これはこの時代の人類が幾何学的な知識を備えていて、ギョベクリテペ計画的に建築されたという事になる。

これだけのものを作るには最低でも500人、もしかすれば数千人単位の労働者が必要だという計算を出した学者がいるみたいだけど、という事はそれらの人々を指揮していた人物も居たはず。

そこにはヒエラルキーがあって、ちゃんとした秩序と目的があったと想像できる目がハート

 

では、何のためにこんな建物を造ったのか

天体観測所だったとか、生贄の儀式をする場所だったとか、亡くなった先祖たちを祀るためだとか、知識や技術を授けてくれた神を崇めるためだとか、情報交換の集会所だとか、色んな説があるけどハッキリしてないというのが現状のようで。

知りたいな~照れ

 

エンクロージャーA

下の写真左側の12x13メートルのこれも小さめのエンクロージャー。

 

 

ここにある1番の柱にもおうし座流星群が。

ヘビの模様は流星群で、下には雄牛牛がいる。

 

 

二番の柱に雄牛(山羊座)、キツネ(水瓶座)、背の高い鳥(魚座)が出てきて、これは1万2千年ほど前のおうし座北流星群の経路なんだとか。

 

 

ところで、世界中に残る雄牛信仰もここにルーツがある気がして。

シュメール神話の神エンリルから始まり、ほんと世界中に牡牛(と角)の共通点が多くあって。なんならエンキヘビの水神だし、蛇神・龍神信仰にも繋がっていく。

そうなると、アヌンナキとかクババとかいった都市伝説的な話もシュメール以前の超古代文明から伝わった神話だとすれば辻褄が合っていく!?

 

ギョベクリテペを作った人達がどんな民族だったのか。
エリア的にもシュメール人の祖先だった可能性が高いのでは?って聞いてみたけど、Tahaの考えでは「違うんじゃないかな」と。この辺りは古代から紛争が絶えなくて色んな民族が入れ替わって来たから、それだけ長い間1つの民族が居たとは考えにくい、との理由。
だけど世界中の信仰や神話の共通点を考えると、歴史は民族同士混じりながら進んでいっただろうし、信仰は変化しつつも伝承されていったはず。つまりやっぱり同祖説を唱えたいわ。その方がロマンがあるもんラブ
 

 

最後にもう1つ。

ギョベクリテペレリーフがこんなにも良い状態で残っているのは約1万年もの間埋もれていて風化を免れたからなんだけど、争そった形跡や壊された跡がないって事は明らかに故意的に埋められていて、それも建設から約1000年後には埋められてたらしい。

 

何故?誰が、何のために埋めた?ってなりますよね。

 

これにはいくつかの説があって。

①民族が移動した。

②何か別の神を信仰するようになって、この施設の必要性が無くなった。

③何らかの理由で隠した。

 

Tahaは②だと考えているらしい。全部違うかもしれないけどね。

ただ、ちょうどこの時代は氷河期が終わって気温が上がって、石器時代も終わりを迎えた頃で、人類発展の大きな節目。農耕や畜産の発達が何か新しい価値観をもたらしたとしても不思議ではないのかも。

わざわざ埋めたって事は、壊れてほしくなかったのか、後世に残したかったのか。

どちらにせよギョベクリテペが彼らにとって大事なものだったのは間違いなさそう。

 

 

 

ギョベクリテペはまだ全体の9%ほどしか発掘できてないらしくて、まだまだ発掘中のエリアがたくさん。

これから更に人類史をひっくり返すような発見が出てきても全然不思議じゃない。

この辺りは、明日行くカラハンテぺもそうだけど、一帯がストーンヒルズと呼ばれていてあちこちにT字型の石像が発見されてるから、もっと古いものも出てくるかもキラキラ

私が生きているうちにギョベクリテペ→シュメールの空白の数千年の謎が少しでも分かるといいなぁ照れ

 

 

一通り見終わったので、太鼓腹(ポットベリー)の丘の頂上まで歩いてみます。

 

ここからだと先ほどのドームの全体がやっと写真に収まったカメラ

 

 

丘の下にずっと広がるこの景色にもいくつもの歴史があって、いろんな遺跡が眠ってるんだろうなぁ照れ

 

 

 

 

こっちはFのエリアだったかな

これからどんどん新しい発見がありそうで楽しみ音符

もう、出来る事なら自分で掘りたいわ笑い泣き

 

 

頂上に到着ルンルン

 

ここにはWishing Treeと呼ばれるマルベリー(桑の実)の木があって、願い事を唱えながらこの木の周りを時計回りに7回周ると願いが叶うと言われているみたい。

 

地元の人達に200-300年前から伝わる言い伝えらしいけど、その間もずっとこの真下には1万2千年前の遺跡が埋まってたなんて照れ

 

 

Tahaにそそのかされて、私も7回周っときました爆  笑

でも、もし願い事が叶ったらちゃんとお礼をしに戻ってこなきゃいけないらしい。

昔はお礼に羊とかを捧げてたらしいけど、どうしようかね泣き笑い

 

ここからぐるっと、ずっと見晴らしが良い。

 

 

オリーブがたくさんなってた!

 

 

下に降りてからビジターセンターで短い映画を観て、少し出土品のレプリカや説明を見て。(ホンモノはシャンルウルファ博物館にある)

 

 

この後ギフトショップへ。

 

ところで、ギョベクリテペ発見の経緯について面白い話を少し。

 

元々1960年代にイスタンブール大学とシカゴ大学が共同で行った調査でこの辺りに何か遺跡がある事は発見されていて、その時は「中世の墓地らしき丘、ローマ時代の遺跡」と記録されたらしい。
その30年後の1995年、ドイツ人考古学者のクラウス・シュミット氏がここを訪れた際、近くのシャンルウルファ博物館にあるこの辺りの出土品を見て「これは何かある」と考えて掘ってみたところT字型の石柱が出てきた、というのがギョベクリテペ発見の流れ。

ここからは、現地で教えてもらった詳細
この辺りで先祖代々農作物を育てていた農夫が、1986年のある日土を耕している時に変わった石像を掘り起こした。
これは凄く古くて何か重要なものに違いない音符と思ってそれを家に持ち帰ったら、嫁に「そんなもの家に持ち込まないで!すぐに捨ててきて!ムキーと怒られた。
仕方ないので、その石像をシャンルウルファ博物館に持って行くと、博物館も「こんなものを展示するわけにはいかない」と、困って奥の倉庫に閉まってしまった
その石像がそんなに嫌がられた理由、、、それは、百聞は一見に如かず下差し

 

(Tahaがくれた写真)

 

この辺りの人達は随分と、私たちが想像する何倍も、コンサバなのです泣き笑い

(明日行くカラハンテぺでも男根崇拝と思われる石像が見つかっているので、それも後の記事で)

 

クラウス・シュミット氏シャンルウルファ博物館を訪れた時、倉庫のこの石像を見て、「これは今まで見たこの辺りのものとは年代も文化も違う。これが見つかった場所を教えてくれ」ってなって、博物館の人が発見者の農夫を紹介して、その農夫がシュミット氏をその場所まで案内して、その下からギョベクリテペが出てきた、という話。

この石像は今でもシャンルウルファ博物館の倉庫に保管されているらしい。
そして、何故そんなに詳しくギョベクリテペ発見の経緯が聞けたかというと、その農夫のお孫さんがギフトショップで働いていて、Tahaが紹介してくれたのでした爆  笑

 

 

恥ずかしそうに写真OKしてくれました。ハニカミくんです照れ

売り物の写真集を開いて、当時の発掘作業の様子を写した写真をいくつか見せてくれて、「これが僕のおじいちゃんだよ。これがシュミットさんで、こっちに居るのが小さいころの僕だよ」って説明してくれた。

ちなみに、来た時に停めた駐車場の係の人もお孫さん(この彼の兄弟)らしい爆  笑

 

 

この旅で唯一心残りで仕方ないのは、シャンルウルファ博物館に行けなかったこと。

ここにあるウルファマンという石像はギョベクリテペの次に楽しみにしていたのに、来てみると23年のトルコ・シリア大地震の影響で博物館の1階が浸水してしまって、補修工事中だったガーン

 

ちゃんと調べてなかったこっちも悪いけど、この博物館がアイテナラリーに入ってて、事前に何度もやり取りしたのに、それはないわって思いません?

「年明けにはまた再開するから、そしたらまたおいでよ~ニコニコ」ってな感じですよ、、、知ってたら日程変えてたわ。それくらい楽しみだった悲しい

 

(ギョベクリテペ近くのウルファの町で発見されたウルファマン。画像は拝借)

 

話が戻ってしまうけど、このウルファマン、口がないのでテレパシーを使ったとか宇宙人とかいう都市伝説があるけど、アボリジニの伝承には天の川から来たワンジナ(神・精霊)が世界中の文明と繁栄をもたらした」「ワンジナはテレパシーでコミュニケーションを取る」ってのがあるらしくて、アボリジニは文字を持たず、高度な手話を使うらしい。

形は違えど、突然空から神がやってきて人間を作ったという神話はシュメールだけじゃなくエジプトもインドもインカも、あちこちで共通してる。もちろん旧約聖書の創世記も。

 

同祖説を推すとすれば、アボリジニは土地柄そういった古代の言い伝えや信仰が強く残って伝承されてきたというのはありそう。

実際世界中のあちこちで古代人が残した口の無い石像や壁画が拝められていた証拠があるってのが凄くワクワクするのは事実だし、長い間他の民族と交わらなかった土地の民族(インディアンとか)ほどスピリチュアルで不思議な力を持つと言われるのも面白い。

 

ウルファ周辺では20万年前には人が居た痕跡が残ってるってTahaが言ってたので、それが本当であればホモサピエンス(現生人類)はその長い歴史の中で色んな人種・旧人が交雑しながら進化していく過程で(なんなら宇宙人も入って?爆  笑)私たちが想像する遥か前から高度な知識や信仰を持っていったのでは。

そして、人類の移動ルートや古代文明の位置を考えるとこのエリアで生まれた超古代の思想が現在の世界中の神話や信仰に深く関わるルーツだったとしてもおかしくはない。

 

あぁ、ついつい熱くなってしまったのでこの辺で止めます笑い泣き

あと、間違った内容があっても一切責任はとりません笑

 

さて。カフェで少し休憩をして、マグネットやら置物やらを買って、この後はウルファの町に戻ってバザールを散策しますルンルン