2020年1月4日

 

アトランタ最終日。

この日は午後から空港に戻ってレンタカー返さないといけないので、午前だけ観光。

 

半日で行ける場所を探してたら、キング牧師国立歴史地区(Martin Luther King Jr. National Historic Site)というのがある事を知った。

 

ホテルから近いし、ちょっと小1時間くらい寄ってあとはもう早めに空港行ってゆっくり昼食でも食べようかなと、ここに行ってみる事に。

 

結果、時間ギリギリまで滞在してしまったほど、本当に行って良かった照れ

 

 

 

キング牧師(Dr. Martin Luther King, Jr)といえばアメリカでは1月の第3月曜日は『Martin Luther King Jr. Day』という国民の祝日になっているくらいの有名人だけど、歴史に疎い私は、『奴隷解放運動の人』、『I Have a Dreamのスピーチの人』 くらいしか思い浮かばなかった。

 

キング牧師というくらいだから牧師なんだろうけど、アトランタ出身だったことも初めて知ったし、その生涯や功績もよく知らなかった(歴史の授業、な~んにも聞いてませんでした汗)。

 

 

まず向かったのが歴史地区の真ん中にあるビジターセンター

 

ん?何故こんなところにガンジー?

 

その答えはすぐに判明することに。

 

 

ビジターセンター(無料)の受付で歴史地区の地図をもらって、ざっくりと説明を受ける。

 

館内には6つの丸いセルがあって、キング牧師の生きた時代別に分けられていて、それぞれの時代の背景と活動内容がパネルと映像でディスプレイされている。

 

 

最初は時代別に分かれてるとか知らなくて、たまたま1番に入ったセルがI have a dreamのスピーチが流れているセルだった。

 

これが逆に良かったと今では思う。

あの有名なスピーチを初めてちきんと聴いた。

というか、きちんとキング牧師の顔を見て声を聴いたのさえ初めてだったかもしれない。

 

歴史的に有名なスピーチには人を引き付ける力があるもので、彼の言葉・声・話し方にあっという間に魅了され、最後まで聞き入ってしまい、『もっと知りたい』と思わせられてしまった照れ

 

 

 

ここで各セルが年代順になっていることに気付いたので、順番に見ていくことに。

 

最初のキング牧師が生まれた時代の黒人差別の様子を流している動画がきつかった。

黒人ってだけで酷い差別を受け、根拠もない因縁で家畜のように殺された死体がいくつもショボーン

当時の南部では、白人が黒人を殺すことは特に罪に問われることもなかった。

 

次々とパネルを読んで映像を見ていくと、若いキング牧師が何故リーダーに選ばれたのかが分かってきた。

 

彼は何代も続く聖職者の家に産まれ、当時では裕福なエリアで育ち、高校時代には弁論大会で優勝したりして、最終的にボストン大学大学院神学部で博士号(Dr.)までとっている、いわばちゃんとしたエリート。

その後アトランタに戻ってきて、父が牧師をしてい教会で牧師になった後も、当時のジム・クロウ法という人種隔離政策の不平等を訴え続けていた。

 

そんな彼が、1955年にアラバマ州モンゴメリーで起こったローザ・パークス逮捕事件からのバス・ボイコット運動の成功をきっかけに、公民権運動のリーダーに選ばれていく。

 

ローザ・パークス逮捕事件について、少しウィキペディアから引用。

黒人であるローザ・パークスがバス内で白人に席を譲らなかったために逮捕されたもので、キングはこの事件に激しく抗議してモンゴメリー・バス・ボイコット事件運動を計画し、運動の先頭に立った。この運動は382日間に及んで続けられ、黒人たちは自家用車などでネットワークを組んで抵抗を続けた。この運動の結果、1956年11月に連邦最高裁判所からバス車内人種分離法違憲判決(法律上における人種差別容認に対する違憲判決)を勝ち取り、抗議運動は成功を収めた。
 
この時代の公民権運動に必要な、高い教養と思想、リーダーシップとカリスマ性を持ち備えた人材だったからこそ、26歳という若さでリーダーに選ばれ、何十万もの人が従ったんだろうと思う。

 

パネルを進んでいくと、ある写真で目が止まった。

 

あれ?これ、インドのデリーにあるガンジーのお墓では?

 

やっぱりそうだった。

説明を読んで、ここでキング牧師とガンジーが繋がった。

全然知らなかったけど、キング牧師はガンジーの『非暴力・非服従』の革命運動に深い感銘を受け、1959にインドを訪れてガンジイズム(ガンジーの思想)を学んだらしいびっくり

 

 

キング牧師はテネシー州メンフィスで活動中に暗殺されたんだけど、館内にはお葬式のために棺を入れた木製の馬車(レプリカ?)が置いてあった。

 

 

この馬車の移動に5万人以上の人達が参列して、列の終わりが見えなかったらしい。

 

 

キング牧師は何度も脅迫を受け、命を狙われ、最後は暗殺されたんだけど、では誰が何故キング牧師を消したかったのか?それは主に当時の白人至上主義集団KKKで、大人たちがあの白いの被って黒人たちを迫害してる写真や動画はもちろんだけど、可愛らしい普通の白人の子供たちが無邪気な顔でインタビューで酷い差別的な言葉を言ってる動画にショックを受けた。

そんな事が普通だった時代が、たった40~50年前だという事実。
 
キング牧師が暗殺されたのは1968年(34歳)のことだから、このビジターセンターには彼を実際に知る存命の人達のインタビュー動画も流れている。
彼の功績で時代は大きく変わり、人種差別は著しく減少し、死から40年後には史上初の黒人大統領とファーストレディーが誕生した。
 

なんだか上手く表現できない気持ち(感銘?)を抱えて、次はビジターセンターの道向かいにあるEbenezer Baptist Churchという、キング牧師が牧師をしていた教会へ。

 

 

事前予習してなさ過ぎて開いてるのかも入っていいのかも分からなかったけど、旅行者らしき人が入って行ったので入ってみた爆  笑

 

 

中は普通の教会。別階に当時の祭壇とキング牧師に関連するものが飾られてた。

(何故か写真がない、、、撮影禁止だったのかすらも覚えてないてへぺろ

 

 

ビジターセンターでもらった地図とスマホのGPSを照らし合わせて、次はキング牧師のお墓のある公園へ。

 

Eternal Flame(永遠の炎)がガンジーのお墓を思い出させる。

もしかして、わざと同じようにしてるのかな?

 

 

こちらのプールの中央にあるのがキング牧師と奥さんのお墓。

とっても近代的で綺麗。

 

 

その突き当たりにあるキング・センターの二階は妻コレッタが残したキング牧師の遺品がたくさん展示されていた。

このジャケットを見ると、そう大きい人ではなかったんだなぁ。

 

 

道のりに行くと、歴史地区の地図に載ってた消防署、Fire Station No.6

 

この消防署はキング牧師の生家とさっきの教会の中間にあって、キング牧師は毎日この前を通っていたことになる。

 

 

壁にこんなプレートが張られてた。

 

小さい頃のキング牧師はこの裏で友達とバスケットボールをしながら白人消防員が出動していくのをいつも見ていたらしい(当時消防員になれるのは白人だけだった)。

1963年、あの有名なスピーチをした年に16人の黒人が派遣という形で消防隊に入る事を許され、その数年後にこのステーションNo6はアトランタで初めて正式に黒人の消防員がいる消防署になったそう。

 

 

これがその消防署の裏。

今はフェンスで囲まれた駐車場になってるけど、ここでバスケットしてたのかな?

 

 

そして道のりを真っすぐ行くと、すぐ近くにキング牧師の生家を発見。

 

 

ネットで写真みながら、「これかな?」って思って近づくと、ちゃんとプレートが埋め込まれてた。

 

 

正月明けの週末で残念ながら家は閉まってたけど、普段はツアーがあってガイドもいるので、きちんと申し込めばもっと詳しく見たり知ったりすることが出来ると思う。

 

ビジターセンターで時間をかけすぎて、もうそろそろ空港に行かないといけない時間になった。

 

キング牧師国立歴史地区を後にし、歩いて近くのJackson Street Bridgeに行って例のウォーキングデッドの有名な景色を写真におさめてから駐車場に戻った。

 

ナビをアトランタ空港にセットして出発すると急に晴れて、↑例の有名な景色の高速道路に乗ったので車内からもう一枚カメラ

(というか、右側に見えてる出口が泊ってたホテルのすぐ近くだったのでこの道は何度か通ったけど、この瞬間まであの景色と結びついてなかったびっくり!)

 

 

アトランタ空港はデルタ航空のハブだけあってかなり巨大。ターミナル間のトレインも時間かかるし、レンタカーセンターは更に別のトレインに乗り換えて結構時間がかかる。

お正月で空いていたし荷物も手荷物だけだったのにもかかわらず、レンタカー返してゲートまで行くのに1時間半ほどかかった。

 

最初はウォーキングデッドのロケ地巡りとコカ・コーラ飲み比べだけ興味あったけど、それなりに楽しめたアトランタでした。

お天気悪かったせいで半減してしまったけど傘

あと、美食の街でもあるようなのでもっと滞在すればもっと美味しいもの食べられたかな。

 

追記:

この記事を書いている現在、今回訪れたアトラクションや施設はコロナウィルスの影響で全て閉鎖されています。

私の住んでいる州もロックダウンで旅行どころか家からも出れない状態。

旅行好きにとっては残念な状況だけど、「今は国内外どこにも行くべきじゃない」し、「人の命を奪いかねない行動」なので、今は我慢しましょう。

 

完了