【由颯 愛妃(家族崩壊・両親の離婚)】

 

1人暮らしをしたものの

家族との距離は適度に保った

 

 

なんだかんだ

働きながら自由になるお金を手に入れ

それなりに自由だった

 

 

心は家族に縛られたままだったが

身体の自由は確保していた

 

 

定期的に連絡をとっていた

母の元気がなくなっていたことに気づいた

 

 

様子がおかしい

 

 

問い詰めると

父の暴力が悪化していることを伝えられた

 

 

わたしは

自宅へ戻る決断をした

 

 

母を助けたくて

 

 

家族仲良くを

あきらめきれなくて

 

 

ごっこから

本当の家族になりたくて

 

 

自宅へ戻ることを決断した

 

 

私が戻る事をきっかけに

自宅を全面リフォームした

 

 

業者の選定

壁紙やキッチンなどの選定

母と一緒にいくつも回った

 

 

打ち合わせを重ねる中で

父と衝突することが増えた

 

 

またか

 

 

という気持ちを抑え

その場を取り繕った

 

 

リフォームの工事期間中は

父方の祖父母のマンションに

住むことになった

 

 

そこはゴミ屋敷

 

 

父方の祖母が

たんまり買い込んだ

ガラクタの山

 

 

そのマンションを片付けることが

リフォームの条件のひとつだった

 

 

古いビニール袋がポロポロと破れたり

おんなじTシャツが何枚もあったり

 

 

ゴミにしか見えない

値札のついたガラクタの山を

朝から晩まで片付けた

 

 

父が豹変したのはこの頃だ

 

 

両親のケンカが激しくなった

 

 

首を締めたり

刃物が出てきたこともあった

 

 

私は何度も身の危険を感じた

 

 

リフォームが終わった自宅に戻った

 

 

新しい家は快適だった

 

 

だが、心機一転の新生活は

長くは続かなかった

 

 

両親のケンカはさらに激しさを増した

 

 

 

ある時

両親がケンカをした

 

 

私は

父に外出するように言われた

 

 

私は嫌だと答えた

 

 

外出している間に

父が母に暴力を振るうと思ったからだ

 

 

だが

強制的に外出させられた

 

 

ドアのポストから中の様子を伺った

 

 

怖くて自宅から離れる事が

出来なかった

 

 

 

そんな事が繰り返される日々

 

 

当たり前だが

安心安全は全くない

 

 

ガチャっと

私の部屋に勝手に入ってくる父

 

 

自分の部屋にこもる母

 

 

生きているのに

死んでいるかのように

息を潜めて暮らした

 

 

いつかどこかで経験した記憶がある

 

 

また同じ悪夢を繰り返していた

 

 

強く身の危険を

感じるようになった私は

母を連れて家を出る検討をはじめた

 

 

母を連れて役所に相談に行った

 

 

今の状況はおかしいんだよ

と母を説得した

 

 

母の感覚は麻痺していた

 

 

どんなにひどい暴力をふるわれても

母は私がいけなかったと反省する

 

 

話せば父も分かってくれる

母が変われば父も変わる

母は決して

父だけを責めることはしなかった

 

 

DV被害者の

典型的なパターンだった

 

 

母を説得しながら

私は新しい家を探した

 

 

リフォームが終わった自宅に戻り

まだ日も浅いのに

 

 

私は母と住む家を探した

 

 

いつでも出られるように

最低限の荷物をまとめていた

 

 

そして

その時は突然来た

 

 

夕食後、いつものように

両親のケンカがはじまった

 

 

いつもと様子がおかしい

 

 

慌てて母の部屋に行くと

父が母に馬乗りになっていた

刃物を首に突きつけて

 

 

警察に通報するよ

 

 

私は泣きながら携帯を握りしめて

父に言った

 

 

父は刃物を持ったまま

私に近づいてきた

 

 

やれるもんならやってみろ

 

 

私は携帯で110と押した

 

 

あとは通話ボタンを押せば

警察に繋がる

 

 

でも

どうしても通話ボタンが押せなかった

 

 

ベッドの上で茫然としている母

 

 

刃物を持ったまま

再びお酒を飲みはじめた父

 

 

私は

父のいるダイニングを通らず

ベランダから母のいる部屋に行った

 

 

もう無理だよ

 

 

母は座り込んだままだった

 

 

私は

父がいつ再び暴れ出すか

分からない恐怖を抱きながら

母を説得した

 

 

再び父のいるキッチンを避け

ベランダから母と玄関に向かった

 

 

あらかじめまとめていた

必要最低限の小さな荷物を持って

 

 

母の部屋から玄関までは

ほんの数メートルの距離

 

 

ものすごく長い距離に感じた

 

 

私は母と家を出た

 

 

靴を履いている時

玄関に父が向かってきた

 

 

おー、出て行け

二度と帰って来るな

 

 

家を出た母と私は走った

 

 

追いかけられる事が怖かった

 

 

走って大通りに行き

タクシーに飛び乗った

 

 

行先は警察署

 

 

私と母は警察に行った

 

 

それから何時間経っただろうか

 

 

警察から事情を聞かれ

その合間に兄と親戚の叔父に電話を入れた

今日泊まるホテルも探して予約した

 

 

こういう時でもやるべき事が明確に分かる

考えなくても手が動く

 

 

私、すごいな

 

 

まるでドラマのような状況なのに

どこか冷静な私がいた

 

 

シェルターへ避難する事も検討したが

通信手段を全て没収される

ことが引っかかり

シェルターではなく

ホテルに避難することにした

通信手段を奪われると

施設にいる母方の祖父と

連絡が途絶えるからだ

 

 

警察での対応が終わり

ホテルに着いたのは日付が変わる頃だった

 

 

仕事を終えた兄が

深夜にホテルの部屋に来たので

これまでのいきさつを説明した

 

 

私は翌日からの宿泊先を確保し

母と住む家を探した

 

 

そこから数日はホテルで暮らしたり

兄の家に避難させてもらいながら

新しく家を契約したり

新生活の準備を整えた

 

 

家の契約名義は私

手持ちの現金もあまりなかったので

支払いが父の口座の

家族カードで必要な家電等を揃えた

 

 

必死に前を向いて準備をした

慣れないことに神経を使い

気落ちしている母を気遣いながら



母をホテルで休ませ

私が動いた

 

 

毎日クタクタだった私を支えたのは

かわいい甥っ子たちの存在だった

 

 

新しく生活する

マンションへ引っ越したのは

家を出てから10日ほど経った頃だった

 

 

そうそう



荷物はどうしたかっていうと

たまたま母が

父が自分の両親の介護で

泊まりがけで外出する日程を覚えていて

 

 

父が高速バスで経つ

その日を狙い決行した

 

 

刑事ドラマを見ていた

経験が役に経った

 

 

便利屋さんを2名手配した



父が出掛けるであろう時間を見計らって

家の近くに行った

 

 

車の中から家の様子を伺った

 

 

電気がついている

父が出掛ける様子は…

 

 

ドキドキしながら待機した

 

 

何分か経ち

家の明かりが消えて父が外出した

 

 

2名の便利屋さんのうち

1人には父を尾行してもらった

 

 

もう1人の便利屋さんと

母と私の3人で自宅に入った

 

 

父を尾行している便利屋さんから

父が電車に乗りました

父が高速バスに乗りました

と逐一報告をもらいながら

 

 

尾行してもらったのは

父が自宅に戻ることを

想定したからだった


 

キレキレだなぁと自分で感心しながら

荷造りをした

 

 

ハイエース1台分

まぁまぁな荷物を運び出せたので

ホっとした

 

 

そんな感じで

必要最低限の荷物と家電を手に入れ

母と私の新生活がはじまった

 

 

両親は最終的に離婚した

 

 

離婚に伴い弁護士さんを頼った

 

 

最初にお願いした弁護士さんは

途中で体調不良になり

案件が宙ぶらりんになった

  

 

2人目の弁護士さんで話が進んだ

 

 

打ち合わせには全て私も同席した

 

 

調停では決着がつかず

裁判になった

 

 

決着がつくまでに1年以上かかった

 

 

弁護士事務所からの帰り道

父に尾行されたことがあった

 

 

しばらくは

後ろを振り返りながら道を歩いた

 

 

いつ父が追いかけてくるか

 

 

考えると恐怖しかなかった

 

 

フルタイムの仕事と

両親の離婚調停・裁判

母方の祖父の介護に母のケア

 

 

この生活が

どのくらい続いたのだろうか

 

 

私は

食事を一切受けつけなくなっていた

 

 

何かを口にすると嘔吐してしまい

 

 

水分すら摂れないこともあった

 

 

何件病院に行っても原因不明

 

 

何度胃カメラを飲んでも原因不明

 

 

イライラが増した

 

 

精一杯守ってきた母が

私に依存するようになっていた事もあり

それも負担になっていた

 

 

全てが嫌になり

 

 

どうやったら死ねるのだろうか

ということばかりを

考えるようになった

 

 

痛いのは嫌だ

 

 

怖いのも嫌だ

 

 

毎日働きながら

ロキソニンを大量に服用した

 

 

胃に負担がかかり

大量に吐血して死ねると思ったのだ

 

 

胃洗浄で終わるだけなのに

 

 

当時の私は

本気で死ねると思っていた

 

 

日々を生き抜くために

ロキソニンを服用していた

そう言っても過言ではない

 

 

いつか来る

死ねるタイミングを待ち望んでいた

 

 

なかなか吐血しないな

と思って過ごしていた頃

 

 

祖父が他界した事をきっかけに

 

 

とうとう私の身体は悲鳴をあげた

 

 

強制終了だ

 

 

 

つづく