昨日の研究会で抜刷を頂いた!

その中で、西本昌弘「飛鳥浄御原宮の皇后宮」『續日本紀研究 第434号』では、天武朝の皇后宮がはじめて比定された。

そこでは内郭の「北の正殿」を皇后宮とみる。

しかし、この論文で、皇后宮が飛鳥浄御原宮の中にあるのは判るが、それが内郭の中かは明らかではない。

宮内に皇后・後宮を設けるのは皇女出身で、宮外は豪族の出身という理解は面白い。

 

ただ、内郭の正殿は3棟あり、南区画の内郭前殿が「大安殿」、北区画の南の正殿が「内安殿」に比定するのは私見と一致する。

問題は北の正殿の性格をどうするのかであるが、系譜上はやはり、より奥向け(私的)な正殿とみるべきで、後に「内寝」と呼ばれる天皇の起居する建物の方がよい。

飛鳥浄御原宮の皇后宮は、内郭東北の巨大な建物であろう。