本日、大阪で定例の研究会。

紫香楽宮と難波宮の話。

紫香楽宮の中枢部の変遷がよくわかった。帰ったら、もう一度、報告者を読み直さないと。

聖武が最初に行幸した建物は、北方建物だと思うようになった。その後、甲賀宮になり、天皇と太上天皇を呼ぶことになり、計画変更をして、内裏を造ったのか?

一方、難波宮の発掘成果はわかっていたが、今後の整備がどのようになるかもわかって、ためになる。

残念ながら、質疑途中で退出。


近鉄奈良の上で、雅楽研究会40周年祝賀会に参加。なにせ、研究会顧問なもので。

機嫌よく、中華料理を食べていたが、最後に挨拶が回ってきて、一気によいが覚める。