慈明寺遺跡の現地見学会に行ってきた。
報道では、弥生時代の治水ばかり注目されていたが、藤原京時代には宅地利用されていなかったらしい。
そんなことで、宅地利用されていなかった藤原京を見に見学会に行ってきた!
ここは藤原京右京五条九坊東北、西北坪にあたる。6000平方メートルも調査しているが、西九坊坊間路の両側溝の一部と、五条条間路北側溝の一部しか確認されていない。条坊遺構も残りがよくない。予定では、交差点が確認できるはずだった場所である。そんなことで、柱穴なども完全に削平された可能性もあるが、井戸などの深い遺構もない。
条坊側溝の道路は作られたが、宅地利用はされなかった。それは都の端に近かったことや、平城京遷都計画によって、時間的にそこまで造られなかったなどと考えられている。十分に考えられることである。
しかし、今回の調査区のすぐ東隣を現在調査中で、現地も見れる状態であったが、ここでは柱穴などが多くみられ、塀があったようだ。ここは同じ東北坪内だが、この違いは何だろうか?しかも、五条条間路そのものは確認できていないが、道路を横断する位置に塀が重なる。また、この坪は、昨年の調査で大規模建物が確認された坪にあたる。
今回の調査地では、地盤はあまりよくないものの、柱穴は削平された可能性を考えるべきではないだろうか。基本的に、大規模宅地なので、建物は多くなく、井戸の数は少ない。藤原京の井戸の配置傾向は、宅地の東辺に作られることご多いので、東北坪の井戸も東辺に寄っていた可能性がある。さらに、五条条間路を跨ぐ可能性のある塀の存在は、南の坪も一体利用の可能性も想定すべきでしょう。
いずれにしても、今後の周辺の調査で確認する必要があります。