昨日は、タモリの番組で紹介した流路の地割について、メルマで解説した。
この流路1は、新説ではなく、田村吉永以来、門脇先生や和田先生も、この説を踏襲しているもの。
この流路1を、今回改めて検討し、現在の中の川3、大官大寺東辺の大溝2との関係を整理したもの。
詳細はメルマで書いているので、繰り返さないが、基本的には中の川3が、狂心渠を踏襲しているのだが、これは条里地割で変更されたもの。これは以前から思っていた。
問題は大溝2。これは藤原京時代に機能していたのは間違いない。その北端が北東へ向きを変えること。そうすると香久山の東側に行ってしまう。そこで、考えたのが、本流は流路1で、2は大官大寺造営のためのバイパス運河ではなかろうかというもの。これですべての辻褄があう。あとは、南浦南側の正確なルートを確定するのみ!

(風人作画)