恒例の今年のお仕事1である。
 今年の新論文は4本。「新益京(藤原京)の造営と古墳」は、藤原京時代の古墳の配置と、条坊施工にともなって壊される古墳、壊されない古墳の話である。壊される古墳と残される古墳の意義は、すでに今尾さんが検討されているが、ここでもこれを再検証。その中で、畝傍山周辺の天皇陵、といっても仮託陵を比定した。さらに、壊される古墳と壊されない古墳の理論は、甘樫丘南麓の7世紀後半にまで遡ることを論証した。「王都『飛鳥』からみた大宰府都城の成立」は、飛鳥と大宰府をテーマにした第一弾。斉明天皇の朝倉橘廣庭宮の位置比定をするなかで、現状では大宰府政庁下層(1期古段階)が唯一の候補地であると結論付けた(このことは赤司さんも指摘しているが)。このように考えると、斉明朝の飛鳥の王都と、大宰府1期古段階の造営理念に共通するものがあることを指摘した。「飛鳥の王宮と王都の形成」は、これまでの論攷を踏まえて、飛鳥・藤原の王宮と王都について、概説したものである。オーソドックスな概説ではあるが、所々に新(珍?)説をちりばめておいた。現状での私の理解である。「ふたつの亀形石」は、ここ数年参加させていただいていた四天王寺亀井堂の調査報告書に掲載された考察論文である。発掘調査ではなかったが、次々と判明する事実と、その検討・検証過程は、非常に興味深いものがあった。考古学研究の醍醐味である。そして、飛鳥の亀形石との比較において、さらに興味深いものとなった。この他にも、未刊行だが、すでに原稿をだしたものには、大宰府原稿第2段と初期寺院関連の2本がある。この春頃には刊行予定である。
 この他には讀賣新聞に掲載された飛鳥検定関係の原稿2本。また、今年は「平成」から「令和」に改元されたこともあり、元号関連の原稿もある。さらに懸案であった西橘遺跡の土器をシンポジウムで公開した。これについては、数年の間に報告書をまとめないといけない。
 そして恒例の遊歩マガジンは、斉明朝の最終回を終えて、天智朝が5回まで進行している。「日本国誕生」の歴史も、これから終盤にはいっていく。旬は9本。小山田古墳・元号・四天王寺亀形石・宮滝遺跡・飛鳥京跡苑池・本薬師寺・藤原宮大極殿院・四条遺跡の最新成果の紹介と意義について紹介していた。しかし、年末には発表・現地説明会の4連発。これはなかなか大変だったが、それぞれの調査には、重要な視点と可能性があることを指摘してきた。
 
(論文)
・「新益京(藤原京)の造営と古墳-都市における墳墓の存在形態-」『明日香村文化財調査研究紀要 第18号』
・「考察3 ふたつの亀形石-飛鳥 酒船石遺跡と四天王寺 亀井堂-」『四天王寺亀井堂 石造物調査報告書』
・「王都『飛鳥』からみた大宰府都城の成立-朝倉宮の造営と筑紫大宰府-」『論集 葬送・墓・石』
・「飛鳥の王宮と王都の形成」『古代文学と隣接諸学8 古代の都城と交通』
 (図録)
・『飛鳥の考古学2018』(共著)
(その他)
・「西橘遺跡出土土器」『飛鳥時代の土器編年再考』
・「飛鳥学-冠位叙任試験より50・51-」『讀賣新聞』
・「新元号『令和』と古代の元号・暦・時間」『伝承あすか 第22号』
・「『日本書紀』の舞台を掘る」『大美和 第137号』
・「朝倉橘廣庭宮を探る」『明日香 第41号』
・「飛鳥・藤原の考古学 斉明朝の王宮と王都造営 その10」(飛鳥遊訪マガジン)
・「飛鳥・藤原の考古学 天智朝の王宮と国際情勢 その1~5」(飛鳥遊訪マガジン)

・「飛鳥・藤原の考古学 飛鳥時代最大の方墳だった!」(飛鳥遊歩マガジン)
・「飛鳥・藤原の考古学 新元号『令和』と元号・暦・時間」(飛鳥遊訪マガジン)
・「飛鳥・藤原の考古学 もうひとつの亀形石」(飛鳥遊訪マガジン)

・「飛鳥・藤原の考古学 建物配置が示す吉野宮」(飛鳥遊訪マガジン)
・「飛鳥・藤原の考古学 再び問う! 飛鳥京跡苑池とは?」(飛鳥遊訪マガジン)
・「飛鳥・藤原の考古学 本薬師寺から探る国家寺院の景観」(飛鳥遊訪マガジン)
・「飛鳥・藤原の考古学 大極殿に後殿はあったのか?」(飛鳥遊訪マガジン)
・「飛鳥・藤原の考古学 藤原京周縁部の土地利用」(飛鳥遊訪マガジン)

・「飛鳥・藤原の考古学 藤原京造営に関わるふたつの運河」(飛鳥遊訪マガジン)