近つ飛鳥博物館の館報をいただいた。ありがとうございます。
ここに白石先生の、都塚古墳の論考が掲載されている。それによると石室構造からは7世紀初頭前後。石棺からは6世紀後半頃の古墳となり、石室と石棺の時間差が゛ある。これをどう理解するかは課題としているが、石室構造的には、飛鳥中心部の古墳と、真弓の渡来人の古墳の中間形態とされ、総合的に見て、時期的にみて、稲目にはならず、蘇我を支えた渡来人の墓の可能性が高いという。
来週は、一緒に話をしなければいけないのだが、テーマは小山田遺跡。都塚の話にはならないのだが……。
都塚=稲目説は興味深いが、五条野丸山が稲目だと思っている。丸山は檜隈には含まれないのだろう。ここは「軽」だと思う。次回の話は甘樫丘が中心だが、どこまでが甘樫丘なんでしょうね?