「律令期陵墓の兆域と空間構成-檜隈陵墓群を中心として-」
『条里制・古代都市研究 第27号』(2012年)
条里制・古代都市研究会
条里制・古代都市研究会の現地検討会の内容を文章化したものである。
この研究会での依頼事項は、この会で飛鳥の古墳めぐりをすることであったのだが、果たして飛鳥の古墳巡りと条里制・古代都市の関係が難しい。そこで検討したのが古墳の兆域を現地で確認することであった。
延喜式には兆域を東西○町、南北○町と記しており、あたかも四角形の範囲のように読める。しかし、現地形は複雑で、図に書いたような四角にはならない。そこで、現地で地図を見ながら検討すると、東西○町とは、古墳から視認できる範囲の最大値であることがわかる。兆域とはこの範囲であり、延喜式の文章にすると、「東西○町、南北○町」となるのである。
これを証明するために、檜隈地域の陵墓で検討した。同様の検討は牽牛子塚古墳でも行っており、確認している。今後は他の律令期陵墓でも、範囲を広げて検討する必要がある。