斑鳩放浪中であるが、すこし飛鳥にもどって、厩戸皇子の飛鳥の拠点を考えてみた。
厩戸皇子の幼少の頃の宮は「上宮」である。磐余の地域比定もあって、その場所は上宮遺跡でよいだろう。ここから厩戸皇子は斑鳩宮を造営、拠点を斑鳩へと移している。つまり、厩戸皇子は飛鳥で様々な政策を行っていたが、飛鳥には住んでいないのである。このことはあまり気にされていない。イメージ的には、厩戸皇子は飛鳥の人のイメージが強い。
しかし、本当に飛鳥に住んでいなかったのであろうか?住んでいないかったとしても、飛鳥での政治拠点もなかったのであろうか?ここで唯一可能性のある候補地としては、橘寺の場所がある。ここでは寺以前の掘立柱建物があること、厩戸皇子誕生地の伝承があること、用明天皇が橘豊日皇子と呼ばれていたことなどを考えると、あんがいいけるのではないだろうか。一度、真面目に考える価値はありそうだが、仮にそうすると7世紀前半の飛鳥のイメージが、また変わってくる。