恭仁宮の現地説明会に行った。ここに来るのも何年ぶりのことだろう。今回は朝堂院内の調査であるが、推定西第1または2堂の場所は、削平が激しい。残念ながらここでの朝堂の有無は不明である。しかし、この南方の調査では、東西棟の6×5間の掘立柱建物が見つかっている。ほぼ正方形に近く、従前の朝堂とは様相が違う。さらにその周りには小柱穴が巡り、溝もあることから、木製基壇と考えられている。
 しかし、これまで聖武の宮である平城宮、難波宮、紫香楽宮、そして恭仁宮の朝堂院の構造や形態は、いずれをとっても異なっている。首都の平城宮構造が必ずしも基本形とはいえない。これは7世紀代にも通じることかもしれない、と思った次第である。あまり固定観念をもって、みてはいけないようだ。
 

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