関川尚功氏の「宮都飛鳥の道路と遺跡」『日本考古学 第36号』を読んだがいくつか気になる点がある。
まず、竹田道である。すでに指摘していた竹田道であるが、最近は古山田道であったと思っている。新山田道とは、山田あたりで合流するのは間違いないと思うが、関川論文の指摘は竹田道の東への復元にある。高家や倉橋、忍坂へのルートを復元する。確かにここには古墳群や天皇陵、宮伝承地があり、妥当な復元案であろう。そして、このルートを復元することによって、飛鳥寺や小墾田宮の場所が決定されたひとつの根拠ともなる。
2点目は、梅山古墳の築造年代であるが、これには問題がある。平田キタガワ遺跡の年代に引きづられて、古墳の年代もかなり年代を下げているが、やはりこれは、古墳の年代と平田キタガワ遺跡の年代は同じとみるべきではないと思う。
3点目は、飛鳥宮の問題である。1・2期の遺構について、宮殿とするには、まだ課題が多いことを指摘している。残念ながら、結論は提示されていないが、問題提起としてはおもしろい。特に、私も1期については、現在確認されている斜方位の遺構が王宮そのものかは、疑問をもっている。さらに2期遺構についても、さらなる検討が必要だとも思っている。その点では、関川氏の指摘は興味深い。
いずれにしても、示唆の多い論考であるのは間違いない。