さて、今回は、中川あや氏の「平城遷瓦」(『文化財論叢4』)である。
これまで藤原宮の瓦が平城宮へリサイクルされていることよく知られており、後期難波宮の瓦が長岡宮へ運ばれたことにもよく知られている。
 
しかし、瓦の移動の実態は必ずしも明らかではなかった。今回の論考では、詳細な分析でいくつかの点を明らかにした。
 
まず、藤原宮の瓦は平城宮での㎡あたりの出土量を比較すると、藤原宮では平城宮の7.5倍の出土量があり、予想以上に藤原宮で廃棄されている。まだ利用できそうな瓦の多くが、藤原に残されたことになる。その理由は解明されていないが、今後、この論考の分析方法を、平城宮から長岡宮への状況や、さらに平安宮への状況などとの比較ができれば、おもしろいと思う。
 
また、平城宮での藤原宮瓦の出土位置は、平城宮南面大垣と門、そして中央区朝堂院南面区画塀に集中する。そして、もうひとつ東区大極殿下層にも多く出土する。
一方、出土しないのは、中央区大極殿とその後殿、これを取り巻く大極殿院回廊となる。つまり、中央区大極殿院には、旧宮の瓦を使用していないのは、意味があろう。
また、宮大垣など、建築が急がれたところに使用されているとみる。ここで特におもしろいのは、東区大極殿下層建物で出土することである。この建物は掘立柱建築ではあるが、瓦の分析からは、大棟のみ瓦を使用した可能性がでてきたことである。これは、従来のイメージに変更を与えるものである。
 
いずれにしても平城宮での藤原宮瓦の分析からは、新たな情報がまだまだ広がっていくことがわかる論考である。