文化財論叢Ⅳを熟読中。
この中に廣瀬覚氏の「構築技術からみた高松塚古墳の横口式石槨」がある。凝灰岩切石の石材加工技術と切石の企画、石槨の格を検討したものである。比較として石のカラト古墳、キトラ古墳も検討している。結論として、構築技術の合理化が判明し、マルコ→キトラ→カラト→高松塚と進むとする。しかし論考を読んでいると、論証過程からはカラト→キトラと合理化が進んでいるように読めるのだが、どちらが篩のだろうか?
私の持論では、マルコ→キトラ→カラト→高松塚の順番で間違いないと思っているが……。飛鳥資料館の『飛鳥の奥津城』ではキトラ→カラト→マルコ→高松塚と考えていたが、キトラ・高松塚の調査成果から、考えを変えている。高松塚の石槨や石材規格については、報告書でも書いているが(まだ未刊)、おもしろい点もある。報告書はいつでるのでしょうね。