「藤原京から新益京へ-その京域をめぐる諸問題-」
『文化財学論集』 (1994年)
文化財学論集刊行会
 
「倭京の実像」に続く三部作の第二弾である。
藤原京の造営と京域について検討したものである。
しかし、この頃はまだ、藤原京との東西京極大路・十坊大路が発見されておらず、東西は最大でも八坊までと考えられていた頃である。この点に関しては、この論考については再考しなければいけない点である。
ただし、藤原京が当初から大きかったかというと、まだそうはいいけれないと考えている。つまり、岸説藤原京から大藤原京への拡大である。これについては文献上でも、遺構の上からも検討を要する視点であり、京域が大宝律令頃を境に広がったという理解をもっている。ただし、これが京域の拡大なのか、造営の過程での問題なのかは、まだ判断しかねている。
いずれにしても、この論文の内容は、変更を必要とする箇所と、検討しなければいけない箇所が、現在でも残されている。