昨日は都城制研究会で大阪歴史博物館へ。
お題はふたつ。そのうちのひとつは周制の三朝制の我が国宮殿への影響についての話であった。前期難波宮の内裏南門以北が内朝、朝堂院南門以北が中朝、朱雀門以北が外朝にあたる。藤原宮も同様であるが、大極殿院は明堂の思想を新たに加わったとする。
なるほどと思うのだが、ふたつ疑問が……。内裏外郭の中が内朝とし、大極殿や内裏前殿が路寝(大殿)とするためには、内裏内郭と内裏正殿をどう理解するかがポイントであろう。また、難波宮や藤原宮は良いが、飛鳥宮や大津宮には三朝制は反映されていないのだろうか。興味深い視点である。