今日は研究会。無事に評議委員会・総会も終わり、私の任務は終了である。
その後は研究会でゆっくりと聴講。今日の講演の中で「平城京遷都と泉津」というのがあった。この話のベースになっているのは、岩井照芳氏の論文らしい。氏の論文はまだ読んでいないが、下津道・中津道・上津道は、飛鳥から平城京(まだ造営されていないが)までと一般に言われているが、北はさらに北方の泉津が起点という。平城山での経路を復原しているが、興味深い。確かに、田上山の歌にもあるように、材木の運搬に河川は重要である。さらに一般には「下ツ道」と表記するが、「下津道」と書くこともある。起点が泉津であるならば、「○津道」の由来も伺えよう。非常に興味深い指摘である。さらに本日の質疑応答のなかで、「津」といっても同じではなく、人の乗る所、物資運搬の所、筏を揚げる所など、様々なパターンがあるという。おもしろい。いずれにしても、岩井論文は読まなければ……。