飛鳥京跡で石敷が発見された。吉野川分水改修工事に伴う調査である。飛鳥宮の内郭の北方で石敷や石組溝が広がっており、その西を画する南北の塀も見つかった。これらの遺構は分水路線決定のために、50年前に奈良国立文化財研究所が部分的に確認していたものである。そもそも内郭では石敷はしばしばみられるが、外郭内では石敷ではなくバラス敷が多い。記憶の中では、ここと東外郭(天理教の向い)くらいだろうか。その意味では石敷のあるこの地域は重要施設が想定される。内郭の北方で、苑池の東側、私は北方官衙と言っているところで、おそらく天皇の内廷に関わる施設があったところだろう。
 しかし、昨年の吉野川分水の調査でも、飛鳥宮最大級の建物が見つかったり、今回の石敷や塀の確認など、新発見も多い。この路線内については十分な調査がなされていなかったのは確かである。まあ50年前の文化財の認識は今と違って、かなり甘いものだったのは間違いないので、しかたがないことであるが、内郭を避け、飛鳥寺・川原寺・橘寺を避けることができた点はよかったのであろう。もうひとつは分水の工事によって、遺跡の断面がよく確認出来たことであろう。今回の地点でも古墳時代の包含層の上に整地造成を行い、石敷が施されていることが確認できたことである。これまでの調査では遺跡の残りが良いから3期遺構はよくわかるが、下層の様子がわからなかった。その意味では、この分水路の調査は下層の状況をみるのに最適であったともいえる。しかし、今回の調査では、2期以前の確実な遺構があまりない。1期・2期の宮殿の範囲を考えるひとつの指標になるかもしれない。と思う。