以前に鎌倉の都市構造についてコメントした。それは武士の都で、防御の都、そして若宮大路がその主軸になっているというものだった。その後、秋山哲雄著『都市鎌倉の中世史』を読んだ。その研究成果によると、これまでの先のイメージとは異なり、鎌倉に御家人が常駐していたわけではなく、緊急時に鎌倉に馳せ参じたこと。地形的に山に囲まれているが、記録上ては防御した痕跡がないこと。若宮大路の建設時期が、幕府開始時よりも大幅に下がることが指摘されているのをみた。
鎌倉の都市構造解明には、すでに住宅の建ちこんでいる中心部の解明と、鎌倉時代の中の時間的な変遷を細かに追いかける必要があることを、改めて痛感した。これは飛鳥が宮殿・寺院・古墳の密集する地域であることが、飛鳥時代100年間の積み重ねであることと同じである。鎌倉の考古学も、より細かな検討が必要だ。
秋山哲雄『都市鎌倉の中世史-吾妻鏡の舞台と主役たち-』吉川弘文館 2010.8刊行
・鎌倉と北条氏の時代
・鎌倉の御家人
・北条氏の邸宅をさがせ
・鎌倉にお寺が多い理由
・都市的鎌倉、鎌倉的都市
・鎌倉の求心力
・新しい鎌倉像
