二日間、酷暑の日差しのもと立ち続け、質問攻めでしゃべり続け、顔や腕は真っ赤に焦げてしまった。実に、二日間で7500人の方が押し寄せたそうだ。まあ、当初のの予想では6000人だったので、予想よりも少し多かったか。しかし今日は昼ご飯も食べる時間もなく、行列が永遠と続いていた。この暑さは、たまに現場にでたおじさんにはつらい。
 ところで、とあるところで質問されていたが、いったいこの古墳はいつ造られたのであろうか?667年頃か699年か。土器がないので何ともいえないが、この形態の古墳を7世紀末まで下げるのは気が引ける。やはり665~7年頃と理解したい。そして、中大兄皇子の意志が強く反映され、大津へ行く前に飛鳥での残務整理を片付けていったと考えた方がよいのでは……。