私の話の要点は4点。ゞ嵬静傾栂佑糧翊蝓↓岩屋山式石室の年代、Q蠅衄瓦式石室の年代、す眈渉佑魎泙爍憾妬の年代である。このうち´↓い亘心枋垢気鵑箸楼娶が異なる。これは話す前からわかっていたが、シンポではこのうち´い砲弔い篤は澄0討猟蝓∧森埓?任△襦
しかし、今回のシンポで最大の収穫は、塚口先生の話である。大化薄葬令の有効性について、横口式石槨において、一部天皇陵や超法規的な古墳を除いては、おおむね守られていた。しかし、横穴式石室の中には、規定を越えるものが多くあり、この理解がこれまで謎だった。しかし、647年にそれまでの大徳よりも上が、官僚組織に組み込まれることになり、これに反対する勢力、つまり反中大兄派の左右大臣などが、この大化薄葬令の規定に反するようになり、これが横穴式石室を造営したとするものである。このように考えると、これまでの謎の多くが氷解するのである。非常におもしろい話であった。もう一度、このような視点で考えてみよう。ただし、あくまでも私の専門は宮殿・都城で、古墳屋さんではありません……。