朝刊各紙に、「卑弥呼の宮室」と大々的に報道されていた。纒向遺跡で大型建物が発見されたのである。以前にも少し書いたが、調査中に現場を見せていただいた。建物の規模や構造はすごいものの、最も注目されるのは、ほぼ東西に4棟の建物が中軸線を揃えて、整然と配置されていることだ。飛鳥の宮殿中心部を彷彿させる。担当者とも話をしていたが、周辺地形や柱穴の深さ関係からみて、どうも各建物ごとに、東から西へ雛段造成をしていた可能性が高い。ここで注目されるのは、今回の建物の性格である。一見、宮中枢部の正殿的な建物とも思えるのだが、課題が多い。これを考える視点は二つある。建物構造と正面観である。
 この建物は床束の存在などから高床の建物と推定されているようだ。ここで注目されるのは、柱間が偶数間であること。つまり、建物中軸線に柱がきて、建物前の広場との関係が薄い。少なくとも建物西側には広場はない。このことは飛鳥宮正殿とも共通するが、公施設というよりは私的性格が強い。あるいは閉鎖的建物と考えるべきかもしれない。これをもって祭祀(鬼道)の建物とは断定できないが、少なくとも、臣下り臨む公正殿とは考えづらい。 
 では、これらの施設はどちらを正面としているのだろうか。希望的には西を正面として、三輪山を背後にする方が望ましい。しかし、大型建物の西にある建物は門にはならないことから、西が正面ということは難しい。そこで注目されるのは、すぐ東を南北に通過している上ツ道である。上ツ道の設置年代は不明だが、プレ上ツ道なども想定されよう。そうすれば、上ツ道に面して東を正面にしている可能性もある。
 このように考えて良いならば、今回の建物の東に正殿を想定することもできる(ただし、すぐ東にはJRが通過しており、さらに住宅地になっているが……)。この建物群が卑弥呼の宮室中心部であるかはさておき、王権の中核に位置する建物群であることは間違いない。これまでに見つかっている弥生の王宮とは、配置や構造で一線を画する発見だとおもう。そして、飛鳥以前の王宮を考えるにあたっても、重要な遺跡だ。