平泉の旅、2日目である。今日は、先日明日香に来られた岩手県の○藤さん、○井さん、平泉町の○葉さんのご案内で、平泉を巡った。ありがとうございます。
 まず、いろいろとお話を伺ってから、柳之御所遺跡へ。平泉館の推定地で政庁である。苑池を含む多数の遺構群。そして膨大な量の遺物群である。遺跡保存のために、堤防やバイパス建設を設計変更したそうだ。遺跡は守らなければならないし、堤防はつくらなければならない。そこで、川岸を移動した。つまり、河川内にあたる部分まで堤防をずらして作ったのである。当然川幅が狭くなるので、これを解消するために、対岸を削り取ったのである。要するに、遺跡保存ののために、現在の川道をずらしたのである。現在は資料館があり、遺跡は発掘と同時に復原整備が進行中であったが、国のすることはスケールが違う。続いては毛越寺へ。10数年ぶりに来た。特別史跡・特別名勝に指定されているすばらしい浄土庭園である。建物はないが、礎石が残り、土壇も復原されているので、わかりやすい。池中には龍頭の舟も浮かべられ、様々な祭りやイベントにも使われているようだ。護岸の石積みは、複製であるが、景石には本物が使われているらしい。毛越寺の横には観自在王院庭園がある。池は復原されているが、寺院遺構は未確認。今後の調査が期待されるという。続いては、平泉で最も有名な中尊寺金色堂。さすが金色の社である。金閣寺を小さくしたようなものであるが、藤原三代のミイラが今も安置されている。そして最後は、無量光院へ。ここは発掘調査のまっただ中で、地形をみると、島と池の跡がよくわかる。CG映像の解説版もあり、現風景と当時の風景の違いがよくわかった。
 今回の目的は世界遺産にかかわる視察ではあるが、個人的には、平泉の都市構造の一端が見れて良かった。やはり現地で位置関係を考えながら散策すると、地図ではわからないことがみえてくる。今回は移動が車で、細かな道まで散策できなかったので、詳細までは把握できなかったが、大まかには理解できた。平泉は藤原三代によって徐々に拡大した都市であるが、東西大路は現在の道路と重なっているし、何といっても観自在王院や無量光院の背後には金鶏山がある。平泉はこの金鶏山を意識しているようだ。都市造営における「定点」の存在というのは重要である。このような視点は、飛鳥の都市造営においても重要だと再認識した。