扶余で「ナニワ」さんの木簡が確認された。過去に出土していた木簡を、扶余国立博物館が整理中に解読したそうだ。7世紀の木簡で「那尓波連公(なにわのむらじきみ)」と書いてある。つまり難波氏の名前が記されているのである。難波氏は、外交や交易にかかわった渡来系氏族と考えられている。韓国の木簡については詳しくないが、木簡の形態は荷札木簡の形態をしているので、日本から持ち込まれた品物、あるいは韓国からもたらされようとする品物につけられた荷札だと思う。
以前にも書いたが、日本で新羅土器などがでると、新羅との交流があったことが裏付けられるが、飛鳥では百済と直接交流を示す物は少ない。その中でも初期軒丸瓦の文様やガラス制作の技術などは、百済との直接的な交流を示している。一方、難波では新羅土器に加えて、百済土器も確認されている。
韓国で今回のような木簡が出土すると、百済地域での倭様遺物によって、韓国での交流の裏付けとなる。飛鳥と百済は密接な関係があったといわれているので、今後も扶余での倭様遺物の出土によって、両国間の国際交流を検討する資料が増えれば良いなぁと思う……。
以前にも書いたが、日本で新羅土器などがでると、新羅との交流があったことが裏付けられるが、飛鳥では百済と直接交流を示す物は少ない。その中でも初期軒丸瓦の文様やガラス制作の技術などは、百済との直接的な交流を示している。一方、難波では新羅土器に加えて、百済土器も確認されている。
韓国で今回のような木簡が出土すると、百済地域での倭様遺物によって、韓国での交流の裏付けとなる。飛鳥と百済は密接な関係があったといわれているので、今後も扶余での倭様遺物の出土によって、両国間の国際交流を検討する資料が増えれば良いなぁと思う……。