奈良文化財研究所が石神遺跡の発掘成果を発表した。斉明朝の遺跡の東限塀と門の遺構があるという。この中でも門の遺構は一部ではあるが、瓦を葺いていたらしい。当時、宮殿にはまだ瓦葺建物は採用されておらず、宮殿が瓦葺になるのは藤原宮以降だ。瓦を載せた建物は寺院以外にはなかったはず。それが、斉明朝の石神遺跡東門の一部には、瓦を載せていたらしい。
 実は、石神遺跡の過去の調査では軒瓦が出土している。現在は出雲市のH氏によると、奥山廃寺式と呼ばれるもので、遺跡南辺を中心に総数64点出土しているという。瓦の年代は620~630年代だ。今回の門は斉明朝とされているので、やや時期が異なるかもしれないが、今回は軒瓦が見つかっていないらしい。
 そこで、唐突ながら連想ゲームをしてみよう。
石神遺跡で瓦が出土し、一部とはいえ瓦を載せた門が見つかった。→斉明紀元年に小墾田宮を瓦葺にしようとした記事がある。→推古朝小墾田宮の南の庭には須弥山を立てた記事がある。→石神遺跡で須弥山石が出土している。→石神遺跡の北西側の雷丘東方遺跡で「小治田宮」墨書土器が出土している。→この遺跡が飛鳥から奈良時代の小墾田宮の可能性が高いとされている。→天武朝の小墾田には兵庫(武器庫)があった。→石神遺跡からは鉄鏃などの武器が出土している。
 ……という具合である。ここから導かれる結論として、石神遺跡は小墾田宮の一部の可能性も否定はできない。少なくとも小墾田宮隣接地であることは間違いない。
 このように石神遺跡で一部でも瓦葺建物が確認されたことは、非常に興味深い。現地説明会に行って、確認せねばなるまい……。