橿原考古学研究所が実施している飛鳥宮北辺地域の発掘調査で、建物やバラス敷、石組溝が見つかった。新聞報道によると石組溝が飛鳥宮の北限を限る溝とこれまで推定されていたが、今回の発掘では想定位置に建物があり、宮の範囲が広がったと報道されている。
そもそも飛鳥宮の北限はどこにあるのだろうか。宮の内郭の北方には官衙群が展開していることが確認されている。しかし、これまで北限については見つかっていなかった、そんな中、平成18年に幅2mちかくの東西石組溝が見つかった。飛鳥宮東面大垣の東側には幅2mちかくの南北石組溝があり、この地域の基幹水路となっていることを考えると、先の東西石組溝が北面大垣(未発見)の北側にある基幹水路と理解するのが自然である。つまり、飛鳥宮の周囲には東側・北側は石組溝、南側は唯称寺川、西側は飛鳥川に囲まれていたと考えられる。問題は北側の東西石組溝が、今回の想定位置で見つからなかったことです。平成18年の石組溝は一直線に今回の調査地までは伸びず、途中で南か北に屈曲、あるいは曲線で曲がっていたと考えなければなりません。
すると今回見つかった南庇をもつ建物の性格が課題となります。報道では警護の施設などとするコメントも載っていましたが、溝が確認できなかったので、ここが宮大垣の内側か外側か、今後明らかにする必要があります。飛鳥宮北部には、以前に検討しましたが、「飛鳥宮北方官衙」さらに大垣外側に「飛鳥宮外北辺官衙」があった可能性があるからです。現に今回の石組溝の北側にも建物か塀と考えられる柱穴が見つかっています。
いずれにしても、さらなる発掘調査が必要であるが、北面大垣は今回の調査区の南側にあるのではないかなと、密かに考えています。でも石組溝だけなら、発掘をせずともレーダー探査などでわかるような気がするが……。
そもそも飛鳥宮の北限はどこにあるのだろうか。宮の内郭の北方には官衙群が展開していることが確認されている。しかし、これまで北限については見つかっていなかった、そんな中、平成18年に幅2mちかくの東西石組溝が見つかった。飛鳥宮東面大垣の東側には幅2mちかくの南北石組溝があり、この地域の基幹水路となっていることを考えると、先の東西石組溝が北面大垣(未発見)の北側にある基幹水路と理解するのが自然である。つまり、飛鳥宮の周囲には東側・北側は石組溝、南側は唯称寺川、西側は飛鳥川に囲まれていたと考えられる。問題は北側の東西石組溝が、今回の想定位置で見つからなかったことです。平成18年の石組溝は一直線に今回の調査地までは伸びず、途中で南か北に屈曲、あるいは曲線で曲がっていたと考えなければなりません。
すると今回見つかった南庇をもつ建物の性格が課題となります。報道では警護の施設などとするコメントも載っていましたが、溝が確認できなかったので、ここが宮大垣の内側か外側か、今後明らかにする必要があります。飛鳥宮北部には、以前に検討しましたが、「飛鳥宮北方官衙」さらに大垣外側に「飛鳥宮外北辺官衙」があった可能性があるからです。現に今回の石組溝の北側にも建物か塀と考えられる柱穴が見つかっています。
いずれにしても、さらなる発掘調査が必要であるが、北面大垣は今回の調査区の南側にあるのではないかなと、密かに考えています。でも石組溝だけなら、発掘をせずともレーダー探査などでわかるような気がするが……。