1月17日(土)、大阪歴史博物館で都城制研究会がありました。なかなか参加する機会を逸していたが、久しぶりに行くことができました。

 報告は2本。一本目は、百済の都・韓国扶余の都城についての報告でした。近年の扶余地域の発掘は、新羅・慶州と並び、著しいものがあることは聞いていました。しかし、韓国の考古学には疎いので、今回の報告はなかなか興味深い内容でした。扶余の都城の範囲が、錦江と羅城に囲まれていることはこれまでも知っていましたが、報告者の山本孝文(日本大学)さんの研究では、その中でも扶蘇山城に近い北半だけが居住可能地域で、遺構の検出深度や確認地域から裏付けられるとします。これまで、漠然と羅城と河川の間を「都」と考えていましたが、少し考え方を変えないといけないかなと思いました。また、扶余も都としては立地や構造的に十分でなく、益山地域に再び遷都をしようとしていたのではないかとされます。現実には百済滅亡によって、遷都は実現しませんでしたが、その準備は進んでおり、多くの遺跡が残されているといいます。

 二本目は、趙(大阪市文化財協会)さんの大阪平野の変遷史についての報告でした。太古の昔からの地質学的な変遷で、これを使いながら、文献や地名・地図など様々な資料を用いて、大阪城下町遺跡の変遷を復元していました。これなど私のエリアでも活用できないかと密かに思いました。

 いずれにしても今回の研究会は、久しぶりに興味深いもので、韓国の文化や地質学的な研究など、今後に生かしていきたいテーマです。

 まじめに○×文字(ハングル)でも、勉強しようかなぁ。