なぜ学校は退屈なのか | 想いをかたちに アジャイルコーチング ライフデザイン・パートナー AIグッドワン オフィシャルブログ

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こんにちは!

 

活き活き人生を応援したい
ライフデザイン・パートナー

AIグッドワン代表の原 良一です。


今日のブログテーマは子育てですが
ドラッカーの言葉から
「誰もが教育を大事にし充実せよと言う。だがその費用に見合うものを得ていると思う者はいない」(『断絶の時代』)

こうも言っています
「子供たちはなぜ学校が退屈きわまりないのか、息が詰まるだけのところになっているのかを知らない。しかしテレビの水準に慣れ親しんだ彼らは、今日の教え方では受けつけない。許された唯一の反応が勉強をしないことである」(『断絶の時代』)

私の解釈で言い換えると
”教育は重要であることは誰しもが一致しているが
今の時代 
学校だけではその期待に応えることはできない
教え方を考え直さなければならない”
ということではないこと思います

以前は学校が唯一の教育の場
外の世界を知る機会であったが
ドラッカーはテレビと言っていますが
今はこれに加えネットが加わり
さらに情報入手の機会が広がっています
これと比較すると
子どもたちにとって学校は
退屈で無意味と思えてしまうのもうなづけます


学校では
他者との比較を唯一の尺度として個人を評価することをやめて
学習することの意味 価値 楽しさ
共同体の中で生きる意味 価値 楽しさ
を伝えてほしいと思います


余談ですが
個人的には教育という言葉自体

上から目線で、一方的で、おこがましい感じがして好きになれないんです
学校は教育の場ではなく
子どもたちの成長を支援する場であってほしいと思っています
 
実際に子どもたちに対し教育という名の下
学校では社会均一の価値観の押しつけ
家庭では親の価値観の押しつけ
が為されているのではないでしょうか

それによって子どもたちは
依存 or 反発
の2者に限られた選択を迫られているように思えます

そしてどちらの選択をしてもひとりで行動できず
人としての成長の機会を逃すことになってしまうのではと心配です

そうならなないよう
ひとり一人違う価値観を尊重し
絶えざる勇気づけによって
自律に向けてのサポートが重要と思っています


最後までお読みいただきありがとうございました!
毎週火曜、木曜更新の予定です
お読みいただけると幸いです
活き活き人生を応援したい 原 良一でした

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