人間の心は、極端から、極端へと、突然、反転する。
中道、中庸が肝心とは
なんでも、ほどほどに、ということ、よい加減というように、お風呂も、熱かんも、ほどほどに温かいのが、良いようです。
人間は時と場合によりどんなにも変わり果てる
例えば、お金を借りるときは、神仏の如く拝み倒すように感謝するが、
いざ、返済となり、催促すると地獄の鬼のように扱われたりする。
人間は、天使でもあり悪魔でもある、自分の内面を観察してみればわかると思うのですが。
計算高く、ずる賢く、冷酷で、卑怯な、ことも、生き抜くためにはやらざるを得ない場合もある。
死ぬか生きるかという場合人間はなんだってやる。
かと思えば、自分の命を棄ててまで見知らぬ人のために尽くしたりもする。
私の中にも天使と悪魔が共存しています、ただ私はそのどちらの側面も、適材適所で使い分けていくのが、肝要と考えています。
善人より賢者が求められている世の中だと思います。
もし私が政治家だったら外交上、国家百年の大計としての国益を守るためには、謀略策略、裏では悪どいことも、使えるものは何でも使い、駆け引きするに決まっています。
それでもし、戦争になったら、なにがなんでも勝つしかない、原爆で無差別に大量殺人しようが勝てば正義なんだから、
人間と生まれたからには、清濁併せ呑むくらいで、ちょうどいいようです。
ただ平時には「徳育」というものは必要ですね。
戦前の日本人は、道徳的にも優れており、義に厚く、人情に厚く、美徳を尊び、祖先を敬い、年寄は誉れとされ、信仰に厚く、国民がひとつとなり、貧しいながらも助け合い、沢山見習うことがあったのに。
戦争に負けてすべてが悪にされてしまいましたが。
おまけにアメリカの個人主義の形だけが輸入されたのか、
やたらと「フレンドリーな親子」みたいな感覚で子供と接するうちに、日本人の父母は尊厳を失い、
子供は親の言うことなど聞かなくなり父親を金属バットで殴るような世の中になった。
そして年配者は敬われずに老人は誉れでもなくなった。
戦後の日本人はその土台があったから、道徳に優れ勤勉で調和的で手先が器用で規律正しくその「形なき遺産」のお陰で。
世界中から、日本は再起不能だと言われるほどの戦禍の惨状から、
たった二十年あまりで、世界第二の経済大国としての奇跡的な発展を遂げたのです。
アメリカの個人主義については、アメリカの映画やドラマをよく観察してみればわかります。
フレンドリーな親子関係が成立するには、子供は個人としての自立心を養うために権利と義務のバランスを取るため一人の家族としての義務を果たす決まりになっているのです。
だから、アメリカの子供は小さなころから家事の役割分担があり、
小さな男の子がお父さんの靴をピカピカに磨いておくことや、
女の子は、洗濯の係だったり。そしてハイスクールに上がったら。
アルバイトをして自分の必要なものは自分で働いて買うのが常識なのです。
だからなまじ日本人が友達みたいな親子がいいなど、
形だけ個人主義を真似をすると親の権威も尊厳もあったもんじゃなくなります。
しかしながら社会に出ると会社、組織では縦社会ですから、上司にその感覚で通用するはずがないんです。
家庭の教育が嫌なことはしなくてもいいとなるならば、何をしても叱る者もいなく許されるならば、
義務は果たさなくてもいいが権利は主張するべきだと感覚的にそうなるでしょう。
それで学校を卒業して「今日からあなたは社会人だからね」と就職させて仕事が出来るはずがないです。
つまり日本人はこのままならば、出来るやつ、と全く役に立たないやつ、と二極化していくと思います。
体育会系の人材が優秀なのは、学生の時に、監督、コーチ、先輩から、縦社会の洗礼を受けており、
素直に言うことを聴くことが出来る、チームワークが出来る事、嫌なこと厳しいことにも耐える訓練をしていることと。
仕事を覚えるのに、一番初歩的なこと。
「言われたとおりのことをやる」
これは簡単ですけど、それさえやれない、やらない人が最近多いのです。
中道、中庸が肝心とは
なんでも、ほどほどに、ということ、よい加減というように、お風呂も、熱かんも、ほどほどに温かいのが、良いようです。
人間は時と場合によりどんなにも変わり果てる
例えば、お金を借りるときは、神仏の如く拝み倒すように感謝するが、
いざ、返済となり、催促すると地獄の鬼のように扱われたりする。
人間は、天使でもあり悪魔でもある、自分の内面を観察してみればわかると思うのですが。
計算高く、ずる賢く、冷酷で、卑怯な、ことも、生き抜くためにはやらざるを得ない場合もある。
死ぬか生きるかという場合人間はなんだってやる。
かと思えば、自分の命を棄ててまで見知らぬ人のために尽くしたりもする。
私の中にも天使と悪魔が共存しています、ただ私はそのどちらの側面も、適材適所で使い分けていくのが、肝要と考えています。
善人より賢者が求められている世の中だと思います。
もし私が政治家だったら外交上、国家百年の大計としての国益を守るためには、謀略策略、裏では悪どいことも、使えるものは何でも使い、駆け引きするに決まっています。
それでもし、戦争になったら、なにがなんでも勝つしかない、原爆で無差別に大量殺人しようが勝てば正義なんだから、
人間と生まれたからには、清濁併せ呑むくらいで、ちょうどいいようです。
ただ平時には「徳育」というものは必要ですね。
戦前の日本人は、道徳的にも優れており、義に厚く、人情に厚く、美徳を尊び、祖先を敬い、年寄は誉れとされ、信仰に厚く、国民がひとつとなり、貧しいながらも助け合い、沢山見習うことがあったのに。
戦争に負けてすべてが悪にされてしまいましたが。
おまけにアメリカの個人主義の形だけが輸入されたのか、
やたらと「フレンドリーな親子」みたいな感覚で子供と接するうちに、日本人の父母は尊厳を失い、
子供は親の言うことなど聞かなくなり父親を金属バットで殴るような世の中になった。
そして年配者は敬われずに老人は誉れでもなくなった。
戦後の日本人はその土台があったから、道徳に優れ勤勉で調和的で手先が器用で規律正しくその「形なき遺産」のお陰で。
世界中から、日本は再起不能だと言われるほどの戦禍の惨状から、
たった二十年あまりで、世界第二の経済大国としての奇跡的な発展を遂げたのです。
アメリカの個人主義については、アメリカの映画やドラマをよく観察してみればわかります。
フレンドリーな親子関係が成立するには、子供は個人としての自立心を養うために権利と義務のバランスを取るため一人の家族としての義務を果たす決まりになっているのです。
だから、アメリカの子供は小さなころから家事の役割分担があり、
小さな男の子がお父さんの靴をピカピカに磨いておくことや、
女の子は、洗濯の係だったり。そしてハイスクールに上がったら。
アルバイトをして自分の必要なものは自分で働いて買うのが常識なのです。
だからなまじ日本人が友達みたいな親子がいいなど、
形だけ個人主義を真似をすると親の権威も尊厳もあったもんじゃなくなります。
しかしながら社会に出ると会社、組織では縦社会ですから、上司にその感覚で通用するはずがないんです。
家庭の教育が嫌なことはしなくてもいいとなるならば、何をしても叱る者もいなく許されるならば、
義務は果たさなくてもいいが権利は主張するべきだと感覚的にそうなるでしょう。
それで学校を卒業して「今日からあなたは社会人だからね」と就職させて仕事が出来るはずがないです。
つまり日本人はこのままならば、出来るやつ、と全く役に立たないやつ、と二極化していくと思います。
体育会系の人材が優秀なのは、学生の時に、監督、コーチ、先輩から、縦社会の洗礼を受けており、
素直に言うことを聴くことが出来る、チームワークが出来る事、嫌なこと厳しいことにも耐える訓練をしていることと。
仕事を覚えるのに、一番初歩的なこと。
「言われたとおりのことをやる」
これは簡単ですけど、それさえやれない、やらない人が最近多いのです。