ナイジェリアでの6週間の研修を終えて、無事に日本に帰ってきた。
長かった。いや短かった。
非常に貴重な経験だったと思う。
じゃあ果たして俺は何をしたのか。
そのまえに、とりあえず思い出してみよう。
インターンの目的!
このブログの最初の記事から引っ張り出してみた。
・貧困の問題の当事者になること。
問題解決は、当事者意識がないと本気で取り組めないと思う。現地の人とそういう関係になりたい。
・この貧困という問題に対して、将来取り組もうと思うのか、ある程度はっきりさせる。
・海外で働くとはどういうことかを知る。
グローバルな社会になっている中で、日本も海外に出ていかなければいけないという風潮がある。
今のうちに海外で働く経験は必ずプラスになるけど、
そもそも自分はそういう人たちと仕事で上手くやっていけるのか?
語学力はともかく、他に足りない能力は何か?将来身につけるべきスキルを把握したい。
さて、何をしたか。
ざっくりいこう
一つ目、
ナイジェリアで暮らした。
生まれて初めて共同生活をした。
今まではせいぜい部活の合宿とかスタツアだった。
しかも今回はたくさんの国籍の人と。
慣れるのには時間がかかった。
最初はホント-にストレスだった。
英語力のせいもあった。でも、自分の性格も原因だと気づいた。
生活レベルは日本と比べて格段に下がった。
水は井戸から。電気はたまにしか使えない。トイレも風呂もキッチンも汚い。
ネズミとアリと蚊と仲良く暮らす。不衛生。
こんな環境でも俺は生きられるんだと知った。
同時に、「我慢している」自分もいることに気付いた。
6週間だから、と思って不快の感情を無意識に抑圧していた。
慣れない環境に身を晒されたとき、出来る限りでその環境を良くしよう、ではなく
環境に身を慣らそう、としていた。
環境を変える意識が俺には少なかったのだ。
もちろん、どちらも長短はある。そういうことではなくて、自分の傾向を知った。
今の自分が環境を変える努力をすれば、もっと快適に生きられるはずだ。一事が万事。
二つ目、
ナイジェリアで働いた。
マイクロファイナンスバンクで仕事をした。
行って仕事をしているうちに、アイセックの海外インターンの意義を感じ始めた。
自分の価値を、この慣れない環境の中で発揮できますか?と問われていたのだ。
考えてみて、ぞっとした。
自分は何も持ってない。
大学で学んだことを活かせない。いや、何を学んできたんだろう。
それでも、自分は先進国の人間だ。洗練されたビジネスの国にいる。
どこの会社もやっていること。広告。
広告企業がしのぎを削って作る傑作を俺らは日常的に見ながら生活している。
そんなわけで、プロモーションのためのポスターを作った。
常識とさえ言える知識だけでも、国の経済(ビジネス?)レベルの差、それがバリュー(価値)になった。
じゃあ日本だったら?アメリカだったら?中国?他の国なら?
それから、違う文化の人と働くということ。
さっきの話と被るけど、相手が謎な行動をしてきても、イライラするのは時間の無駄。
嫌なら嫌だとはっきり言わなければ伝わらない。
当たり前みたいだけど、日本じゃあたりまえじゃない。大体言わなくても通じる。というか常識が一緒だから、謎な行動がそもそも少ない。
嫌だと言わないなら、言わないっ!って自分の心に決着をつける。そしたらイライラがおさまる。
わかんなかったら I don't understand. 違ったらNo. って言わないといけない。 あたりまえ。
今まであたりまえじゃなかった。
理解するにはしゃべらねば。
ポスターのデザインをめぐって職場のおっちゃんと議論して、自分の意見を言えたときは達成感を感じた。
でも、まだまだ英語力は全然足りない。コミュニケーション力も足りない。
三つ目
見た。考えた。
貧困という問題意識について、
町から遠く離れた農村に連れて行ってもらった。
JICAで働く人達に話を聞いたりもした。
幸せってなんだろうって普遍的な答えを探したり、
じゃあ自分にとっては何が幸せか考えた。
そして自分について、
普段感じることのない新鮮な刺激を感じて、それをどう感じるのか、
心の機微に敏感になろうとしたり、
自分の考えをT氏に言ってみたり、
長距離バスの移動のときに、過去を振り返って、自分の性格の根幹に行きあたったりした。
インターンでは自分と向かい合うのには十分すぎる時間と刺激があった。
ある意味で、俺は他人と接している時でさえ、そこに相対化される自分を見ているんじゃないかって思うことがあった。
自分は今まで自分で思っていたよりも自分本位で自己中心的なんだなって思った。
こんな感じ。
研修中に日記をつけてて良かった。
もっと得たものを言語化したい。得られなかったものも言語化したい。
このブログは続くと思います。