悪知識と申すは

   甘く語らい 詐(いつわ)り 媚び

   言を巧みにして愚痴の人の心を取りて

   善心を破るといふ事なり。

    
    総じて涅槃経の心は、

   十悪・五逆の者よりも 

   謗法(正しい法を曲解して説く)・

   闡提(例えば提婆達多のような)のものを 

   おそるべしと誡めたり。 
       
           (唱法華題目抄 日蓮)

    知恵出でて大偽あり。
   

 農業で分かる様に、自然界で生きるには、

 自然の妙諦を観じ・有りの儘を受け入れ・

 その中で智慧を絞って 精一杯努力するしかない。

   
   策略や計算では生きられない。
 

   
  肥大化したマトリックス社会でこそ通用する
   
  机上の論理に基づくゲーム感覚で、
   
  生命の基本・食は語れない。

   
  農業の工業化も進めるそうだが、

  それとて現段階で表面化されているのは
  
  文明の力・利器を用いてこそ可能なもの。

  何かが欠ければ 成り立たない。
  
   
 厳しさを受け容れることこそが自然体。

   
 そこを確り弁えていたからこその、日本の文化。 

  
 「弁え」という智恵の鏡が曇りだしたのは
  
 何時のことからか。  
 
  
  宇宙の法則に反して

  横紙破りな生き方を貫こうとすれば、

  無理が生じて 尚生き辛くなるのは、必然。
  

  「  教主釈尊の

   出世の本懐(ほんがい)は
 
   人の振舞ひにて候けるぞ。 」
  
     
     (崇竣天皇御書)
   
  
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 宇宙の妙諦は全て
 
 我が一心に収められている。
      
   
 大丈夫。

 
 負の呪縛から蝉蛻したとき・

 人はもっと楽になる。
 
 真理を恣に受け用いるようになる。  
     
      
 互いに威嚇しあうのではなく・

 慈しみあい・育てあう世の中に
 
 きっと向かう。



    密雲の先は常に 

   明澄の気に満ちている
  
  
   
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  『 爾前(にぜん)の経々の心は、
   
   心のすむは月のごとし、
 
   心のきよきは花のごとし。
    
   法華経はしからず、
  
    月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。            

     (白米一俵御書)(日蓮)


  『自他彼此の心なく 

     水魚の思ひを成して』           

   (生死一大事血脈抄)(日蓮)
  
  
 などで教えられているように、

 自他も苦楽も環境に対する思いも
 
 ・経験したことも全ては 

 己自身の心から生じてきた『感情』
 なのだが、
  
 法華経(宇宙の正理)を心の底に
 留めていない人は、
 
 自と他を隔別にみてしまう
  
 
 そのように見るから 

 他人に苦しめられたなどと

 愚痴を言ってしまう。
  
  
 それは、自分とは何かが

 分かっていないからなんです。

  
 縁してきたことその他全ては

 自分の心の感じ方であるし、
  
 「心そのもの」なのです。

  
  
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 世の中の多くの人は、自分というのは
 皮膚で包まれたこの肉体と精神で、 
  
 それ以外は他人であり
 他のものだと思っているでしょうが、
   
 縁しているものごと・
 見たり聞いたりする全てのもの、 
 
 それらを感じているのは、
 自分自身なのです。 


 全ては

 自分自身の心の中に感じている
  
 人やものごとなのです。

  
  
 好き嫌い・美味い不味い・  
 心地よい環境や住みにくい環境・・・・
   
   
 それらは全て、

 自分の心そのものなのです。
  
  
  白米一俵御書の如くです。
   
 最近の脳科学者は、

 この白米一俵御書の教えに近いことを

 述べるようになりました。

    
漸く仏教に近づいてきたなあと思います。
  
   
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 これからの日本・して
 世界を作っていく人々にとって
 何が必要かといえば、
 

 他者や自然・万物との繋がりを、

 己と他者といった様に

 隔別の見方をするのではなく
  
 「月こそ心よ・花こそ心よ」

 と日蓮大聖人が示されたような 
  
  
 世間即仏法の見方を重視し、
 
  
 何ものをも慈しむ法華経の生命観を
  
 科学技術の底辺に据えていくべきだと
  
 思うのです。

  
 「月こそ心よ、花こそ心よ」 の教えを   
  自分の心の中に受け入れた時、
 
 その時には誰人また何事であっても  
  
 全ては自分の命であると
 心得ることができる。

 そうなると、 

 あらゆるものを大切にし・  
 尊ぶようになっていくのではないかと
 思います。

 それがたとえ辛く
 苦しいことであっても、 
  
 受け入れるだけの大きな心に  
 変わっていけると思っております。

  
Ⅰ~Ⅲ Mr.mount-hat (私の仏道の恩師)

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 遅くとも、何もやらないよりは 

  やるのがよろしい
          
    (リウィウス)
 
  
   
  諸河の水は大難の如く入れども 

  かへす事 とがむる事なし。
 

  諸河の水入る事なくば 

  大海あるべからず                 
    
   (椎地四郎殿御書 日蓮)


 ただ世間の留難来たるとも、

 とりあへ給ふべからず。

 賢人聖人も 此の事はのがれず。~

   
 苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、
 
 苦楽ともに思ひ合はせて 

 南無妙法蓮華経と

 うちとなへゐさせ給へ。    
 
 これあに自受法楽にあらずや。      

  
  (四条金吾殿御返事 日蓮)

   

 総じて予が弟子等は 我が如く
  
 正理を修行し給へ。

 智者学匠の身となりても
   
 地獄に堕ちて 何の詮かあるべき。   
  
  
 所詮 時時念念に 

 南無妙法蓮華経と唱ふべし。
         

        (日蓮)
 
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 皆様のお優しさに、
   
 沢山の思いと・心からの感謝を込めて。                   
   
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