答う 経に云く
「 『悪人を愛敬し
善人を治罰するに由るが故に
星宿及び風雨 皆時を以って行わず』
等云々、
夫れ天地は国の明鏡なり。
今此の国に天災地夭あり。
知るべし 国主に失ありと云う事を 」
(日蓮)
「 順次生に必ず地獄に堕つべき者は、
重罪を造るとも現罰なし。
一闡提(いっせんだい)人 これなり。」
(日蓮)
一闡提とは、成仏の素質に欠く者のことをいう。
余りに毒気が深く心に入り込んでしまい、
今生で助け上げる術の無い人々を指す。
この人々は、地獄堕ちが既に決定している為に、
最期の・最後の「楽」として
差し障りなく一生を終えることが許される。
只し、死に際には堕地獄の相を現じる。
まだ改心の余地の残されている人には、
覚醒させようという仏の慈悲による苦難が与えられる。
「 譬(たと)えば
獄に入って死罪に定まる者は、
獄の中にて何なる僻事あれども
死罪を行うまでにて別の失(とが)なし、
ゆりぬべき(免)者は
獄中にて僻事あれば、
これをいましむるが如くに~ 」
(日蓮)
例えば武士の時代でも、
死罪と決定されたものには
刑の執行までの日々を
平穏に過ごすことが許されたが、
更生の余地が残された者には、
刑期を経て
再度チャンスが与えられたように。
天台の云く、
「 其の心を失う者は
良薬を与うと雖も
而かも肯て服せず
生死に流浪し 他国に逃逝す 」
(日蓮)
自身が大苦を招きよせていることに気付けず、
正道を行く者を痛めつけて狂喜乱舞する人々を、
日蓮は「奇怪(きっかい)なり」と表現する。
存分に悪事に加担して無限の苦を味わって
初めて覚醒するか、
現状を変えられる今生で苦を受け容れるか。
全ては自身の一念によって生じ・
選択の自由はそれぞれの掌中に在る。
Ⅰ
人は生まれて成長し そして死んでいく。
瞬時として止まってはいません。
無常ですね。
無常と云う言葉を聞くと、
何か古びた異次元の世界のことのように
感じるでしょうが、
私たちの身体は 無常だから生きているのです。
変化しない状態を医学的には「死」といいます。
細胞も意識も、常に変化しているでしょう?
人は無常を
寂しいものとか悲しいもの・侘しいもの
つまり「不幸」と捉えてきました。
けれども、
生まれて成長することが喜びで、
老いや死は悲しみであり、
特に死は不幸だという捉え方は
偏っていると思います。
やがて必ず死はやってきますから、
全ての人間は不幸だということに
なってしまいます。
だから、
自分だけは無常ではないのだという捕らえ方は
偏っているんです。
Ⅱ
世の中、己自身も含めて
常に変化していますが、
大抵の人は
物事は変化していることさえ感じない。
そこに苦しみが生じてしまうのです。
四季の変化や年齢を重ねている・・・
位は意識しているでしょうが、
己自身の肉体や思考などは
仮に集まって出来上がったものなんだ
と思える人は、殆どいない。
それは恰も
酒に酔っているのと同じ様なものです。
しかし己を知り、世の中の有様を
確り観てみれば、
変化している奥にあるものを
掴むことができます。
そうすれば決して、
つまらぬことに酔い痴れることはないでしょう。
Ⅰ・Ⅱ Mr.mount-hat(私の仏道の恩師)
失敗は星々の間ではなく、
我々自身の中にある
(シェイクスピア)
自身の矜持を失うことなく
日常を丁寧に重ねる。
人の目よりも
天眼を常に感じて生き抜きたい。
Kさん、お題目を感じます。
有り難う御座います。
貴殿がお送り下さっている念、
しかと受け止めました。
そしてHEAVY-SNAKEさん・ninnninnさん、
状況が変わっただけで、
貴殿らを変わらず尊敬し・信頼しております。
私の初志に変わりはありません。
天に委ねたこの心の臓が
動いていてくれる限り、
正理を堅持して参ります。
どうぞ、目の前にいた私を
信じていて下さい。
敬愛するお三方、霊山で。
Thank you!