人生五十年


 下天のうちにくらぶれば 夢幻のごとくなり


       (織田信長)
 

Ⅰ 人生というものは、悠久の時の流れに比べれば、

  夢幻のようはかないものだ。

  この身も この感覚も 仮初めのこと。

  だからこそ何の為に生きたかを大事にしようという感覚を、

  昔の人は 持っていたのだと思いますね。



Ⅱ 現代人の多くは、死んだら無に帰すると思っている。

  そういう人は、生きている今が全てと考えますから、

  生きている間に楽しく過ごそう・死んだら終わりと思っている。

  そこには、自分の生を修行期間として 
  
  何かを未来に求めようなどという思いは無い。

  生きること・そのこと自体を自己目的化して 
  
  無理をしてまで快楽を追求したり、
  
  欲望を満たすことを人生の目標としている。


  だから 老いや病や死は 大きな苦しみだとして
  
  生老病死を受け容れようとはしなくなるのである。


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 提婆達多は釈尊を妬んであらん限りの悪行を重ね、
 
 自分の身を飾り・人々の歓心を買う為、
 
 これまたありとあらゆる努力を重ねる。

 
 例えば、仏には三十二の身体的特徴が備わっているが、
 彼には

 ・眉間に有る光明を放つ右巻きの白い毛
 ・足裏に輪形の相が現れている

 という二相が欠けていた。

 弟子に軽んじられるのではないかと
 
 風声鶴唳した彼は、  
 
 ・蛍火を探し集めて眉間につけて仏相と言い張り、
 
 ・鍛冶屋に菊形を作らせて足に嵌めて大やけどをし、 
 
 それが元で瀕死の状態にまで陥る(!)。

 余りの苦痛に仏(釈迦)にすがる彼の足に仏は手を当て、
 撫でると忽ち傷は癒え・九死に一生を得た。

 ところが喉もと過ぎればで、回復した途端、
 悔悛するどころか 
 釈迦の医術はまやかしだ、などと触れ回る。
 

 余りの愚かさに
 不謹慎ながら吹き出してしまうと同時に
 憐憫の情を催すのは、
 
 自身も同じ愚鈍な命を内包していることを 
 認識しているからだろうか。

 法華経では、
 
 最も大切な「心の鍛錬」という課題に瞑目して 
 
 現世利益に躍起になる人々のことを、
 
 燃え盛る火に四囲された屋敷の中で
 
 遊びに熱狂する子供たちに譬えている。



Ⅲ 昔の人たちは、今の生が必ず未来につながっていくもの・   

  来世の為にあると考え、 

  自己を鍛えていくという姿勢を持ち合わせていました。

  明日があるのと同じように・

来世もあると思って生きることは大事なことです。

  死んだらお終いだという思いの中には、
  
  後世へ何かを託すという思い・
  
  後世の人々に対する思いは生まれてきません。

  世の中は、善い因を積めば善い果を得ることができるし、
  
  悪い因のところには 悪い果が待っています。

  
  そういう宇宙の法則・因果によって
  
  無始無終の流れの中に身を置いている。

  
  そう観じることができれば前向きの命になって、
  
  臨終も一つの通過点・
  
  誰もが通過する関門と考えるようになるのです。 


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 因果や三世を説く教えを持てない人や国は、

 時に大真面目に「滑稽な」努力を重ね・

 延命や富の獲得に躍起になる。

 そんな迷いを礼賛し・担ぎ上げてしまうことで、

 更に迷いを深めていることに気付けない人々。

 恰も「毒を飲んで本心を失い狂い酔う子供達」

 (法華経譬喩品)の如く。



 「 西洋の道徳では、
  
   自分の身体も魂も自分のものと云ふことになっている。
  
   だから自分の勝手にしてよろしい。
  
   他人のことは構わないでよろしいと云ふことになつてゐる。
  
   それでは人間では無い。

   獣とおんなじである。

   その通りにしたら 世の中はメチャメチャである。

   だから法律というものを作って、
  
   ドウヤラコウヤラ 纏まった国を作つてゐる。

   これを個人主義と云ふのだ。 」

                   (夢野久作 頭山満先生)


 極論かもしれないが、
 
 この作品を挙げたのは
 
 自分の生を重んじるのは自分だけではない・
 
 皆同じなのだという思考が
 
 等閑に付されていると感じるからだ。



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 仏天(宇宙)の望みは、一切衆生皆成仏道。
 
 人々が心から納得し・
 
 宇宙の法則が存在するのだと理解できるまで 
 
 救いの手を差し伸べる。

 諭して聞かない者には、苦が用意される。

 その苦は自身が誤った考え
 
 (宇宙の真理に背く/人の精神を損ない・
 境涯を貶めるような教えや考え方)
 
 に基づき行動した結果として
 
 あくまで自身が招き寄せたもの。
 
 正しい(宇宙の理に適った)思考を
 
 備えた時点から、

 地獄は地獄でなくなる。

 
 一旦地獄を味わうことで覚醒する命もあり、
 それは天の采配に依るところだ。


 「浄土と云うも穢土と云うも外には候はず」
    
           (日蓮)

 
 提婆達多が地獄に堕ちた後に成仏したことを
 思い出して頂きたい。

 迷っている状態を凡夫といい、
 悟っている状態を仏という、と日蓮は言う。

 芥川の蜘蛛の糸。
 あの罪人の愚かな命は、
 私達一人ひとりの心にも内在していることを
 忘れてはならないと思う。

   
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Ⅳ 過去・現在・未来の三世は
  
  今の一瞬の中に凝縮しているのだと確信できる。

  だからこそ常に来世を意識することができ、

  どんな時でも未来の果を信じる心を持つことが、
  
  反って今を正しい方向に導く・
  
  智慧の働きにも繋がってくるのです。
 


 弥縫策を講じて一時的な安寧を得たとて、
 
 長いスパンで見れば最善策とは限らない。

  今を大切に生きる。

 その場凌ぎで阿諛追従して
 
 慈悲無き行為と仏に御叱りを受けぬよう、
 
 天に対して正直でありたい。



 心の師とはなるとも 心を師とせざれ 」

      ( 日蓮 )



 次回は 「何故巨悪が殊更栄えるのか」について
 更に記述させて頂きたい。


Ⅰ~Ⅳ ・・ Mr.mount-hat
         私の仏道の恩師。
 
 諸事情から 現在は疎遠になってはいるが、
 私にとっては今も変わらず・師であり・
 生涯の恩人の一人であり、感謝の念は失せない。
 「誰かの為になるなら 自由にお使い下さい」
 そのお言葉に甘え、以前頂いたお便りから拝借した。
          
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 kさん、ご覧下さっていますね。
 いつか再会の日を迎えられると信じています。
 今は誤解や疑念を払拭して差し上げられないのが
 忸怩たる思いとなって燻るばかりですが・・・
 どうぞご容赦下さいませ。 
 心からの感謝を送ります。
 
          
                   Thank you!