「私は白阪会長のもとで社会分野のプログラム委員をしており、各分野の概観を話せと特別講演を仰せつかったのですが、自分の研究のことしか話せないので……」。苦笑しながらそう切り出したのは、宝塚大学の日高庸晴さん。性的マイノリティ当事者、とくに若者調査の第一人者だ。1998年、木原班や市川班といった研究班に属して以来、20年の区切りでもある。

 HIVは、MSM間での広がりがその中心であることは言うまでもない。都会に限らず、地方においても同様だ。いまでこそLGBTという言葉は人口に膾炙するが、98年当事、ゲイ・バイセクシュアル男性、ひいては性的マイノリティにかんする信頼できる調査は日本に存在しなかった。

 海外にはHIVにかぎらず当事者のメンタルヘルスにかんする調査がすでに蓄積され、自尊感情の低さや孤独感の強さが指摘されてきた。日高さんは企画したネット調査「REACH」でそれらを追試し、日本でも同様の傾向が見られることをつぎつぎ明らかにしていった。

 さらに、学校時代のいじめの経験、性教育での記憶、はじめてのセックス、そのときの状況……さまざまなデータをとり、当事者のリアル像を突き止めていった。

 

 現在はゲイ/MSMにかぎらない、レズビアン、トランスジェンダー、Xジェンダーなど、さまざまなセクシュアリティに及ぶ10代の若者の、いじめ、不登校、自傷行為の経験についてもデータが積み重なっている。いじめや不登校では30%前後、MTFトランスジェンダーではじつに57%の経験率だ。一方、一般の児童生徒は3%という。

「刃物で自分を傷つけたことがありますか」という自傷行為経験を問う定型的な質問には、首都圏での男子中高生での経験率7.5%という報告に対し、ゲイで3倍近い17%、レズビアンやトランスジェンダーでは50%前後という。

 その背後に見えてきたのは、教室で無自覚に、あるいは「ウケ」を狙って発される教師の性的マイノリティにかんするジョーク、いわゆる「ホモネタ」だった。児童生徒は、教師のなにげない一言に深く傷ついている。しかし、教師もまたこれまで性的マイノリティについて学ぶ機会はなかったのだ。(日本性教育協会の機関紙に報告がありますので、あわせてご覧ください。)

 

 教師たちへの取り組みを進めたい。学校で児童・生徒に性の授業を伝えたいーー。あらゆるツテや機会をたどって教育委員会や学校へ働きかける、日高さんの文字通り「死に物狂い」の行動力は、敬服の一言につきる。

 しかし、「ようやくアポイントを得て会いに行っても、どの県、どの市の担当者からもなぜか怒られ、説教されるんです。なんでこんな提案をうちにしにくるんだ、と。あれぐらい怒られた時期はなかった」。苦しい日々のなかから、それでもいくつかの学校ーー全国の数に比せば砂浜で指輪を拾うような思いでつながった学校と、取り組みを進めてきた。教師への研修、生徒の実態調査、そして授業案づくり、だ。

 生徒の出席番号に紐付けした調査では、生徒たちの性の実態や、生徒のなかにも当事者がいること、授業を受けることで変わっていくことなどが見え、どの生徒がということは当然開示しないが、教師たちは結果報告に一様に驚くという。「子どもの人生を変える先生の一言、授業がある」と日高さんはいう。それはホモネタへの転落であることもあれば、年に一度の授業でも生徒に希望と未来を送るケースでもあるのだ。

 

 2015年4月、文科省は通知を出し、翌年には教師向けの解説を発行。いまや各県・各教委の態度はまさに手のひらを返すようだという。日高さんの多忙な日々はこれからますます続くにちがいない。

 しかし、20年まえのその出発点には、HIV感染するMSMの若者たちのリアルに到達し、彼らへのまなざしや社会の環境を変えてゆきたいという社会疫学の視点があったのだろう。医は、病を癒し、人を癒し、国を癒す3階があるというが、国が癒えて、はじめて病も人も癒える。

 調査者と改革者の両面をもつ日高さんの、ますますの活躍をお祈りせずにはいられない。