だいぶ前に発売された本。
発売当時立ち読みで面白そうなところだけ読んだ記憶。
今回、添野義二の本が出たので久々にこの手の本でも読もうと思い購入。
しかしちょっと読んだら面白そうなのでこの本の作家?が書いた本を読もうと思い購入。
それがこの2冊。
ちなみにこの原作者の小島と言う方はあまり知らなくただいろいろと騒がれている方であまりいいイメージはない。
なので話半分くらいにして読むことに。
簡単にいうと大山倍達の生い立ちから極真空手の歴史、死去からの歴史本。
私も格闘技本は昔はかなり色々と読んでいるのでどこまでが正しくてそうではないと色々と疑問があった。
読んでみると前半は朝鮮時代のことや日本に来てから。そして日本での朝鮮人の歴史など。
かなり斜め読みで読んだ。
昔読んだ本や雑誌とさして変わらない部分が多かったが若い時の日本での活動についてはかなり初めての部分があった。
ただどうして大山が色々な活動をしていたのか、そしてそれがのちの大山道場をつくることになったのかがなんとなく想像できる。
ボクシングとの関係もなかなか興味深い。
死去してからの跡継ぎ問題は当時死去する前に朝鮮人だと何かの本で読んだときだとしたらもし亡くなったら2代目は松井しかないだろうと思っていた。
なぜなら当時2人は同じ朝鮮系だと知ったのでだとしたらもうあたりまえとしか思わなかった。
かりに他にも朝鮮系がいたとしても当時組手の強さや華麗さ、100人組手と文句なしだろうと。
しかしなぜか問題が起きる。
傍観者でいた私もどちらが正しいのか判らなくなっていた。
この2冊を読むうちになんだかどちら(松井とその他の方々)も金でかなりの部分が動いているんだと。
そうではない方は勝手にやってろと独自の路線。
ただここまで分裂した流派って珍しいのではと思う。
だれかがいっていたけど空手で飯を食う発想は大山倍達だとか実際それで食べている人たちがいる。
道場持っていても自分の仕事を持っていればそんなことにこだわる必要がないのだがそれで飯が食えなくなると困るからこうなってしまったのだろうか?
個人的に昔から感じていることが1つある。
それが日本人と韓国や朝鮮系の方の武道でも考え方の違いといえばいいのか。
昔、柔道を見ている時に韓国の柔道がかなり力技で投げていることに驚いた。
たいして日本は力技もかなりあるがそれに比べると技で投げている。
当時は日本人が韓国人に柔道で力負けしているとか言われていたがどうにか技で勝っていたようなイメージ。
個人的には若いうちはいいけど歳を取ったらあの力技は通用しないと。
大山は強くなる秘訣に1に力、2に技、3にスピードと。
個人的には1に技、2に力、3にスピードだと思っていた。
のちに色々と私もそう思ったり、ちょっと違うと思ったりした。
それと同じように拳道会の中村日出夫が朝鮮系と。
最初拳道会を知ったのが雑誌だと思ったがすごいなと。
テレビで見たときは(大竹まことのただいまPCランド 笑)極真と同じようなためし割をするけど動きはぜんぜん違うと。技を重視している。
だから日本人と思っていた。
砂袋で鍛えたり鍛錬したりするのは沖縄の空手でもいろいろと見たことがある。
だから当時はそんなもんだと。
柔道や剣道とかでよく技で勝負とか力に頼るなとか。
柔術とか合気道とかだと対立しないとか調和するとか。
空手は沖縄発祥とされているので当然沖縄の心というか沖縄人の心が動きに現れるはず。
それぞれの流派でも違うが最近私が思う昔からの沖縄空手は力より心からくる技だと。
鍛錬することもあってもいいがある程度の年齢からはそうでない方向にいくのが本筋だと。
そう考えるとなぜにこうも民族で違うのかと。
色々とあるのだろうが1つはてっとり早く強くなりアピールする必要性があったのではと。
それが在日の生き方に必要だったのではと。
もう1つはやはり日本が長い間平和が続いたからそうなると剣術も実践より技や心を磨く方向に。
同じように日本で生まれた武道的なものはたいていが技や心を大切にしている。
あまり朝鮮の歴史には詳しくないが地続きな土地なので当然色々と争いが絶えない。
そうなるととりあえずすぐにでも強くなる必要がある。
そうなると・・・。
その歴史が民族に刻まれ考え方にも影響を及ぼしているのではと。
いくら技が云々と言っても親やDNAがそうさせてしまうのでは。
と今では思うのだが。