韓国のアイドルグループが音楽シーンを席巻している。ヨン様から少女時代を経て第3次韓流ブームとも言われている状況を、最近になってK-POPの魅力に目覚めたというジャーナリスト安田浩一氏が解説する新連載。第1回は、ソウルで行われた韓国芸能事務所のオーディションの様子をお伝えす

■小学生のときに「TWICE」の虜になった
 ステージの中央に進み出ると、正面を見据えた。まだ幼さの残る顔に、不安とおびえの色が浮かんでいる。ふう、とまずは深呼吸。
 目の前に並んで座っているのは、韓国芸能事務所のスカウトたちだ。緊張するのも無理はない。生まれて初めて、オーディションの舞台に立ったのだ。
 
 「アンニョンハセヨ」(こんにちは)
 震えるような声だった、覚えたての韓国語であいさつしたのは、ここで成功したいという彼女の覚悟でもあった。
 ユウキさん(仮名、12歳)。東京都内に住む中学1年生だ。
 
 夏休みを利用して韓国を訪ねたのは、ソウルで開かれたK-POPオーディションに参加するためだった。
 2年前、小学生だったときにテレビで韓国のアイドルグループ・TWICEを“発見”した。以来、K-POPの虜(とりこ)になった。
 
 「かっこいいなあと思いました。日本のアイドルグループとはまるで違って見えました」
 洗練されたダンスに憧れた。動画サイトを繰り返し見ながら、振り付けを真似た。韓国語の歌詞も覚えた。そこまでは、どこにでもいる“Kポペン”(K-POPファンを意味する韓国語による俗称)の1人にすぎなかった。そのうち、「ペン」(ファン)であり続けるだけでは満足できなくなった。
 
単なる憧れが飛躍した。
 「私もK-POPアイドルになりたいと思うようになったんです」
 
 近所のダンス教室に通った。2年近く、みっちりとレッスンを重ねた。そしてネットで情報収集し、このオーディションを知った。ツアー形式で、最終日に設定されたオーディションまでは、ダンスレッスンや韓国語講座、文化体験も組み込まれていた。
 
 初めての韓国。初めてのオーディション。不安と緊張でガチガチになりながら、この日、ユウキさんは10数社のスカウトの前で、歌唱とダンスを披露した。

わずか1分間の審査である。こわばった気持ちを振り払うように、力強くステップを踏んだ。俊敏で、しなやかな身のこなしだった。スカウトたちはスマホやビデオカメラで、その動きを追う。
 
 踊り終えて息も絶え絶えのユウキさんに、声をかけた。
 ──うまくできましたか? 
 
 歌やダンスを精察する能力も、ましてやK-POPの知識も持たない私には、その程度の言葉しか出てこない。
 ユウキさんはようやく緊張が解けたのか、「エヘッ」と照れたように笑った。

 「自分では精いっぱい踊りました。どうだったのかなあ。上手な人がたくさんいるから、あまり自信ないかも……」
 ステージ上とは打って変わり、顔には中学1年生の素の表情が浮かんでいた。そこにはスカウトの前で大きなミスもなくやり切ったという自信と、もっとうまくできたかもしれないという小さな後悔が同居していた。
 
 「でも」とユウキさんは続ける。
 「今回がダメでも、何度でも挑戦します」
 決意をにじませ、挑むような目つきが印象的だった。

■参加者41人中、日本人は16人
 8月3日、ソウル市内で開かれたオーデションに参加したのは41人。うち日本人は16人で、ほかに米国、中国、マレーシア、香港といった国からもアイドル志願者が参加した。
 
 主催したのはソウル・弘大(ホンデ)でK-POPスクールを運営している「アコピア」。経営母体となるのは1999年から日韓交流事業を手がけているNPO法人「アジア希望キャンプ機構」である。日本にも活動拠点を持ち、日韓の若者たちによるボランティア活動、議員やジャーナリストなどの交流事業を展開しているが、2014年からK-POPスクールの運営も始めた。ダンスや歌を学ぶ、いわゆるK-POP留学生を受けいれているだけでなく、世界中のアイドル志願者を集めた「グローバルオーディション」も定期的に開催している。

 「みんなレベルが高いでしょう」
 日本に留学経験を持つチョウ・キュウチョル代表(54歳)が流ちょうな日本語で話す。
 
 「今回も含めて、参加者のほとんどが中学生、高校生の10代女性です。もちろん圧倒的に日本人が多い。わざわざ韓国まで足を運んでいるのですから、遊び半分で参加する人はほとんどいません」
 
 穏やかな表情で話すチョウ代表だが、わずかに顔を曇らせる瞬間があった。悪化する日韓関係について言及したときだ。

「こればかりは、今後どうなるかわからない。政治と芸能は別のものだと思いたい」
 
8月のソウルは、確かに熱い“政治の季節”のただなかにあった。日本の輸出管理強化、韓国のGSOMIA破棄など、「関係悪化」を両国メディアが煽り、韓国でも連日、トップニュースは日本関連で占められた。日本大使館前の路上では「NO安倍集会」が繰り返されていた。日本製品の不買運動も広がり、スーパーやコンビニでは日本製ビールの品薄状態が続く。そうした空気に触発されたのかどうかは不明だが、日本人女性が韓国人男性に暴行を受けるといった事件も発生した。

 暴行を働いた男性が非難されるのは当然だが、日本のネット上では「この時期に韓国に行くほうがどうかしている」「なぜ、韓国などに行くのか」と女性を中傷するような書き込みすら相次いだ。
 
■日本人観光客は去年同月と比べて増えている
 だが──「最悪」とされるなかにあっても、テレビを消し、ネットを遮断し、デモや集会の現場から離れれば、ソウルは意外なほどに落ち着いている。繁華街の明洞も、高層ビルが立ち並ぶ江南も、K-POPの聖地として知られる若者の街・弘大も、日本人観光客でにぎわっていた。

 それもそのはず、8月に韓国を訪れた日本人観光客は32万9652人(韓国観光公社調べ)。昨年同月と比較して4.6%増の数字だ。そう、なんと日本人観光客は増えているのだ。今年1月から8月までの累積統計でも、昨年より22%も増加している。韓国にとって日本人観光客は、いまなお「お得意様」であることにまったく変わりはない。
 
 東京特派員経験を持つ韓国紙の記者も「日本への旅行自粛は広がっているが、こんな時期だからこそ韓国に来てくれる日本人観光客は歓迎されることが少なくないと思います。日本政府に対する反発はあっても、少なくとも日本人そのものを排斥するような動きは広まっていません」と話す。

 果たして、オーディションに参加した日本人女性たちの“K-POP愛”も、まったく揺らいでいなかった。
 「K-POPの世界で活躍することが夢なんです。政治のことはまったく気になりません」
 
 そう断言したのは神奈川県から来たユミさん(仮名)。16歳の高校1年生だ。
 「だって、音楽には何の罪もないですよね?」
 
 笑顔を絶やさない彼女は、中学生の時から学校のダンス部で活動し、ダンス主体で「魅せる」K-POPの迫力にはまった。母親もKARAの熱烈なファンで、「一番の理解者」だという。


「お父さんだけが、韓国でアイドルになりたいと話すとイヤな顔をします。政治的なことが影響しているようです。でも、私の強い決意を聞いて、渋々許してくれました」
 
 実はこの日、スカウトたちから最も熱い視線が注がれたのがユミさんだった。
 ダンスの時に見せた、一瞬たりとも気をゆるめない峻厳な動き。リズムに合わせて自在に動くしなやかな手足。挑戦的な視線をスカウトたちに流しながら、ときおり髪をかきあげる仕草もプロ顔負けの堂々としたものだった。思わず立ち上がってカメラで彼女を追いかけるスカウトもいた。

 実はユミさんがK-POPのオーディションを受けるのはこれで4回目。
 「日本のアイドルが『かわいい』としたら、K-POPアイドルは『かっこいい』。私は、かっこいいアイドルになりたいんです」
 
 いつか、という日を夢見て、韓国語も勉強中だという。
 これまでテレビやネット映像でK-POPを「独学してきた」と話すのは、岐阜県に住む高校3年生のチエコさん(仮名、17歳)だ。いまはBTSに夢中で、彼女もやはり「かっこいいパフォーマンスのできる」アイドルを目指しているという。

 「実は両親がK-POPアイドルになることを反対しているんです。特に父親は『韓国が嫌い』だとはっきり言う。本当に困ったものです」
 それを笑いながら話すことができるのは、彼女自身に強固な信念があるからだ。
 
 「好きなものを政治に奪われたくない」
 だから夢はあきらめない。たとえアイドルになれなくとも、親しんだ韓国のカルチャーにずっと伴走していたい。そうした思いから、いまは韓国の学校に留学することも考えているという。

■日本のファンはきちんと“消費”してくれる
 「頼もしく感じます。真剣に韓国芸能界でのデビューを考えている日本人が多いことを、あらためて嬉しく思いました」
 
 そう話すのは、審査にあたったスカウトの1人「47エンタテインメント」のムン・サンギ社長だ。ムン社長はかつて大手芸能事務所に勤めていたが、最近になって独立。いまは新人発掘のために奔走しているという。
 
 「日本人を欲しているのは、日本のマーケットを意識しているからです。確かにK-POPは世界的規模の産業に発展しました。ですが、日本のファンはきちんと“消費”してくれるんです。数よりも質がすぐれているように思います」

確かに「数」の問題に限定すれば、中国などのほうが圧倒的に多い。しかしムン社長によれば「ちゃんとお金を払ってCDなどを買ってくれる。コンサートにも足を運んでもらえる。消費意欲は日本が他国を完全に上回っている」のだそう。
 
 TWICEの成功がそれを裏付けた。「聴く、見る」だけに飽き足らなくなった層が、TWICEの日本人メンバーの活躍に触発され、自らアイドルを目指すようになった。正しい「消費」がさらに加速する。

 「日韓の関係悪化は、いまのところ業界には大きな影響を及ぼしていません。もちろん油断はできませんが、若い層に根付いたK-POP熱は、簡単に冷めることはないでしょう」
 
 ちなみに、オーディションで注目するのは主に「表現力」だという。
 「いまの段階で歌やダンスに多少の難があったとしても、練習すればどうにかなります。1つ2つミスしたところで、それほど気にはなりません。しかし、表現力だけは個性がはっきり表れますからね」

 完璧に整っていることが大事なのではない。突き刺さるような眼力はあるか、激しさや気だるさを緩急つけて演じることはできるか。その部分を注視している。
 
■オーディションをハシゴする若者も
 いま、ソウルでは大手事務所から、林立するK-POPスクールまで、毎週のようにさまざまなオーディションが開催されている。長期滞在し、オーディションをハシゴする若者も少なくないという。
 
 むろん、合格してもデビューできる保証はない。韓国内にもあまた存在するアイドル予備軍との闘いも避けて通ることはできない。TWICEはあくまでも特別な存在だ。

 「そのことはちゃんと理解しています」
 静岡県から来た中学校1年生のミナさん(仮名、13歳)は、生真面目な表情で訴えた。
 
 「チャンスがあるならば、とにかく挑戦したいんです」
 反目し合う大人たちを尻目に、彼女たちは「夢」を賭けた闘いのなかを進む。