35歳でがんになりました。種類は大腸がんです。

 

 進行度はステージ3bで、この場合、大腸から腫瘍を取り除いたあと、補助的に抗がん剤治療をするのが標準治療(=現段階でベストの治療)とされています。

 

がん発覚の1年前に子どもを産んだ身としては、少しでも長く生きることがもっとも大事。そのため腹をくくって抗がん剤治療をやるっきゃないとなったわけですが、そのとき医師から、「薬の影響で妊娠できなくなるかもしれない」と告げられました。


■がんの前に出産した息子は人工授精で授かった

 ここで少し時間を巻き戻すと、病気がわかる1年前に授かった息子は、不妊治療の賜物でした。

 

 とはいえ子どもを切望していたというわけでもなく、容赦なく迫るリミットを前に、「そもそもお互い妊娠できる体なのかね」という疑問から夫婦揃って病院で調べたところ、私に排卵障害があることが判明。

 

 人様の手を借りないと妊娠が難しいとわかった以上、意識的に行動しない限り、子どもの顔は見られない。だったらイチかバチか、運を天に任せるか。

 

 そんないい加減な気持ちで不妊治療をスタートし、運良く1度目の人工授精で妊娠。2017年秋に出産したのでした。


■未来の赤ちゃんではなく、今生きている患者の命が優先

 そうして翌年の2018年11月にがんが発覚するのですが、その直後から、「2人目を望むなら“妊孕性温存”を考えたほうがいい」と医師から告げられていました。

 

「妊孕性(にんようせい)温存」とは、抗がん剤や放射線治療といった妊娠する力を奪ってしまう可能性がある治療に入る前に、正常な状態の卵子や精子を体から取り出して保存しておくことを意味します。

 

 しかし、がんを告げられた当時ばりばり授乳中だった私は無月経な上に(注:授乳中は生理がこない人が多い)、もし生理がきたとしても前述の通り排卵障害持ちのため、排卵していない可能性が高いと思われました。

 

 それでも抗がん剤治療は待ったなしで、私の場合、腫瘍摘出後2カ月以内に必ずスタートしなければいけないといいます。 

 

 後日、妊孕性温存の専門家に聞いてはっきりとわかったことは、いくら妊娠を望んだとしても、がん患者の場合、優先されるのはがん治療だということです。

 

 それは患者の命が最優先であることと、がん治療を遅らせたことで万が一のことが起こり、生まれてきた赤ちゃんに親がいない状況を避けるためということでした。


■費用は50万円。残された時間は数十日

 そのためがん患者になってしまった自分は己の卵を好き勝手にとることは許されず、「子どもが欲しいなら抗がん剤治療が始まる数十日の間に卵をとるべし。費用は50万なり」というヘビーなミッションを突きつけられたのです。

 

 そして卵を凍結しても、その使用が許されるのは最短でもがんが寛解としたといえる5年後。もしその間にがんが再発してしまえば、私の年齢的に厳しい話になるのは間違いありません。

 

 さらに、卵をとるために長ーい針を下から入れて卵巣に突き刺すため、なにかの間違いで針が腸壁を突き破り、大腸に残っているかもしれないがん細胞を子宮にばらまいてしまう可能性もゼロではないといいます。

 

インパクトあるリスクと費用が発生するわりに、子作りできるかどうかは未知数。決行するにしても、2カ月の間に授乳をやめて月経を開始させ、排卵をさせないことには卵の保存はできないはず。

 

 下手に不妊治療をやっただけにそんな予測を勝手にたてた自分は、誰に相談することもなく、妊孕性温存を諦めることにしました。

 

「数十日後には間違いなく抗がん剤の影響で授乳できなくなる。ならばできるかどうかもわからない未来の子どもより、おっぱいでしか寝られない、いま目の前にいる息子にギリギリまで授乳しよう」

 

 自分を納得させるには十分な理由のはずでした。


■妊婦を見て号泣。全然諦めきれていなかった自分に遭遇

 そうしてなんとか心のざわつきを収めつつあったある日、街で妊婦さんを見た途端、涙がドバドバ溢れてきました。

 

 適当に不妊治療をしていたかつての自分は、選べる自由を手にしていたことがどんなに幸せか、まったくわかっていなかったと感じました。

 

 その日から、気づけば自分の使う抗がん剤の副作用を薬剤師に尋ねまくり、臨床心理士に電話で泣きつき、がん治療と生殖医療の両方に通じている医者を探す日々。諦めたはずが、体は勝手に行動していました。

 

 最終的には夫からの「それをお守りにすればいいじゃん」という一言が後押しになり、結局、採卵に踏み切ることに。

 

 慌てて病院へ駆け込んだのは、暮れも押し詰まる12月21日。その日から毎日3時間かけて排卵誘発剤の注射を打ちに病院へ通い、12月29日に採卵。31日に受精卵完成という無茶苦茶なスケジュールで卵ミッションは幕を閉じたのでした。

ちなみに、「無月経&排卵障害のなか、数週間で卵をとるのは難しいのでは?」という私の考えは間違っていたようで、排卵誘発剤を使うことで12個の卵をとってもらうことができました。

 

 また懸念していた授乳に関しては、術後の傷の痛みに耐えられず、あっさり断乳。入院期間中、強制的におっぱいと離れたこともあり、母子ともに悲壮感なく乳とさよならできたのでした。

 

 そしてすべてを終えて抗がん剤治療をしている今、気持ちは非常に穏やかです。

 

 できてもできなくても、もういいや。

 

 あのとき妊婦さんを見て落涙し、体が動いてしまったこと。自分はそれに従うしかなかったのだと思います。

 

 そして、勝手な素人考えでうじうじと悩み、時間がなくなってしまうのがなによりもったいないこと。それが今回の学びでした。

 

 なのでもし今、子作りのことでもやもやしている方がいたら、一刻も早く病院へ駆け込んでほしいと思います。その衝動を、全力で応援しています。