僕の地元福岡には、「味の明太子」という名物があります。年末年始に九州に帰省した方、またはお歳暮などの贈り物としてご購入された方、逆に受け取ったという方もいるのではないでしょうか?

さてこの明太子、いまは福岡の代名詞のように根付いていますが、実は福岡で生まれたものではなく、ルーツは韓国釜山のお惣菜。かつて博多中洲で卸商店を営んでいた「ふくや」の創業者、川原俊夫さんが、幼少期を過ごした釜山の思い出を作ろうと開発し、博多の人たちの味覚に合うように進化してきた歴史があります。

明太子の原料はスケソウダラの卵ですが、面白いことに博多湾で採れる食材ではなく、北海道やアラスカ、ロシア産のものを使って製造しているようです。しかし、産地は違えど、福岡で”博多風”に開発されたということで、福岡の名物、土地の産物というお土産として全国に知れわたり、最近では、「どの会社、どのブランドの明太子か」にこだわる人も多いと聞きます。

僕はバリエーションというより、ルーツを辿る方に興味がありますが、明太子については歴史を描いたドラマ『めんたいぴりり』があり、シーズン1、2と九州で絶大な人気を得て、今月映画も公開されています。僕はシリーズ2で友情出演したのですが、福岡の人情ドラマというか、こうしたストーリーで名物の歴史を知れるのは面白いなと思います。

そして、この明太子をきっかけに、お土産のことについて考えてみました。

お土産というのは、何を運んでくれるのか。土地の魅力なのか、それとも土地で過ごした思い出なのか? 僕はモノそのものというより、それがその土地のことを想起させてくれることが大事なのではないかと思います。その想起させるという点で、感覚に訴える「食」というのはパワフルです。

以前、知人とこんなやり取りがありました。

彼には、福岡で育った母方のおばあちゃんがいて、亡くなる前に「明太子が食べたい」と言っていたそうです。当時彼は、病院食が美味しくないから味の濃いものを食べたいのだろう、と解釈してたようですが、僕がその話を聞いた時には、その「明太子が食べたい」には、もっと深いメッセージが詰まっているのでは、と話しました。味の濃いものなら他にいくらでもあるのに、「明太子」だったのは、また昔のように家族で食卓を囲みたいという比喩であったのではないかと。



 

実は僕にも似たような経験があります。20歳でフランスに修行に出て25歳でお店をオープンし、地元を離れて長くなった頃、定期的に訪れているバルセロナの人気レストランで食事をした際に、なんとびっくり、「イカ明太子」が出てきたのです。

そのとき、2つの発見がありました。ひとつは、スペインでも明太子の味がわかってもらえるんだなということ。もう一つは、地元の家族や友達は元気にしてるかな、と思いを馳せたことでした。

食は生きるための栄養ですが、心を養うための栄養としての役割もあります。気候風土の中から生まれた土地の産物が、心身ともに、どれだけ影響があるのかをふっと考える機会になったのを今でも覚えています。

フランスに来て20年以上が経ち、「ホームシックになったことはないのですか?」と言われることも多いのですが、そう聞かれて思い出すのは、福岡から東京に出てきた学生時代に、母が定期的に送ってくれていたダンボールのことです。

その中身は、幼少時代に食べた九州名物の「うまかっちゃん」というインスタントラーメンでしたが、これが一人暮らしの身には染みる味で、まだまだ福岡には帰れない、頑張らなきゃという気持ちにさせてくれたのです。また原宿の「じゃんがらラーメン」も、懐かしい故郷の味として勇気を育んでくれたので、ホームシックになることはありませんでした。

僕は、食には、時空を超える力があると思っています。思い出を育み、それを再び食べたときに、勇気づけたり、温かい気持ちにさせてくれる。そしてお土産には、そんな力があるなと考えています。

旅の楽しかった思い出を、自分の記憶のため、または家族や友人に共有するためにお土産を買う。もしかしたら、そのお土産がきっかけで、その土地に行きたくなる人もいるかもしれません。そのためにはやはり、日本全国、世界各地どこにでもあるものでなく、その土地らしさが大切です。

観光業は、「他の産業のPR」であると言われます。その土地にどんな食があり、どんなモノが作られ、どんな生活があるのかを紹介する。その観光の大きな要素であるお土産において、業界などの枠を超えた共創が増えれば、もっとユニーク競争力のある商品が生まれるのではないかと思います。