ノルウェーで食べた鯨の味
© 株式会社フジテレビジョン 写真 クジラの竜田揚げ イメージ
既に還暦を迎えた筆者と同世代の関東出身者は鯨肉と言われると小学校の給食を真っ先に思い出すのではないか。半世紀も前のことだが、肉の塊にお目に掛かる事などなかなか無かった時代、月に一度程のペースで学校の給食に出てきた鯨の竜田揚げは大人気のメニューであった。これを先割れスプーンで食べるのに結構往生したのも懐かしい思い出である。しかし、高学年になった頃からだったか、中学に進んだ頃からだったか、世の中が豊かになるに連れ、給食に鯨肉が出てくる事は無くなっていたのが現実である。
本題に戻る。次に思い出す鯨肉の記憶は小学校時代から20年余も時代を下る。我が家や周辺では日常的に鯨肉を食べる習慣がなかった故、年月が飛ぶのである。所も北欧、ノルウェーに一挙に移る。
出てきたのは結構なサイズの中皿にびっしり敷き詰められた赤身の刺身。まず、その量に驚いた。そして、筆者自身は初めて食したのだが、その味に全員驚愕した。詳しく書いても顰蹙を買うばかりに違いないので、ここから我々は思わずもう一皿追加注文し綺麗にたいらげたとだけ記しておきたい。
欧米人から見た日本の“捕鯨”
その中で一番強硬だったのが、オーストラリア人のカメラマンであった。
「鯨は食料ではない!インテリジェントな高等生物で守るべき存在だ。」
「調査捕鯨なんてまやかし、すぐにでも止めるべきだ。」
「日本人はもう鯨を食べなくても生きていける!」
当然、当方は「鯨を食べてはいけないと一体誰が決めたのだ?」
「IWCの科学委員会でさえミンク鯨など一部の種類は絶滅の心配が無いと言っている。
それを捕るなとはどういう科学的根拠があるのだ?」
「ノルウェーやアイスランドが良くて、何故日本が駄目なのだ?
日本にも一部地域だが何百年もの鯨食文化があるのだぞ。」
「君達は一方的に自分達の価値観を押し付ける。そんなものは受け入れられない。」
豪州人はカンガルーは食べてもOK、なぜ鯨は?
筆者が「君らはカンガルーをどんどん殺し、人間が食べたり、ペットフードにして売っているではないか?それは良いのか?」と問い詰めても「カンガルーは害獣だ。」と断言して平然としていた。
「君達は牛を食べないヒンズー教徒が君達にロースト・ビーフを食べるなと言ったらその通りにするのか?豚肉を食べないユダヤ人やアラブ人がベーコンを食べるなと言ったらどうするのだ?」と、反論したこともあるが、「それは文化の違いだ。」で終わりだった。
「日本のような世界第2位(当時)の経済大国が鯨を食べる必要はもう無い。」というのがほぼ全員に共通する意見でもあった。
「残酷」と「非人道的」の違い
アメリカでは少し事情が違った。
その後、日本語も堪能なアメリカ人外交官に一度、関連用語を巡って談判をしたことがある。
太地町のイルカ漁を、我々から見れば悪意を持って、描いた映画が話題になった時期と相前後する。
個人的な勉強不足が原因かもしれないのだが、筆者はかねがねこのinhumaneという表現に疑問を持っていた。その理由は、inhumane=非人道的と言われてしまうと、ナチスのホロコーストやサダム・フセインのクルド族虐殺など人道上の大罪を筆者は想起してしまうからで、その言葉が日本捕鯨やイルカ漁に対しても使われるのには大いなる違和感ばかりでなく“生理的反発”さえ感じていたからである。
「inhumaneは人間に対してだけではなく、動物の扱いが悪い場合にも英語では使われるのか?」
「そうだ。例えば牛や豚を処理するときに残虐なやり方をするとinhumaneと非難される。
それが一般的な使い方だ。」
「それって、もしかするとcruel=残酷と同じ意味か?」
「ほぼ同じだ。」
「しかし、inhumaneを日本語に訳すと非人道的になるのは知っているよね?」
「知っている。」
「日本語で非人道的と言うと、ホロコースト並みの極悪非道のイメージになってしまうのを理解している?私個人は鯨・イルカ漁をinhumaneと非難される度に、ふざけるな!そこまで悪く無いぞ!と反発の気持が沸き起こるのだが、cruelに代えることはできないのか?」
その後、程なくして、当該ウェブ・ページのinhumaneはcruelに代わっていたと朧気ながら記憶している。
このエピソード自体は単なるボタンの掛け違えレベルの話と言えばそれまで。だが、鯨肉食のみならず、動植物に対する人の向き合い方を巡る文化の相違は根深く、相互理解が非常に難しいことを示すエピソードでもある。もちろん彼らの価値観の押し付けに屈する必要は全く無い。その点で、筆者はIWCからの脱退に反対する気は毛頭ない。南氷洋での調査捕鯨を止めるという決断も特にオーストラリアやニュージーランドとの関係を一層強化する上では有用である。彼らはTPP11の主要メンバーだし、中国と様々な面で対抗していく上でも重要なパートナーだからである。沿岸での小規模捕鯨はこれまでも続けてきた。節度を持ってやるならば、今後も続けることに異論は無い。だが、少し残念なことがある。欧米各国の報道ぶりを見ると、ほぼ全ての見出しが「日本が商業捕鯨を再開へ」になってしまっているからである。
これが、例えば「日本政府が南氷洋の調査捕鯨中止の決断・小規模伝統沿岸捕鯨のみ継続へ」
海洋の環境という面では、水温上昇はもとよりマイクロ・プラスチックを始めとする大量の漂流ゴミの問題、各地で烏賊やいわしなど資源の減少が伝えられる世界的な乱獲の問題など難問は山積している。温暖化対策ではトランプ氏の無理解が障害になるかもしれないが、こうした諸問題に各国が集中できるようなムードが一日も早く醸成されることを筆者は願って止まない。そして、世界の反捕鯨団体がその豊富な資金と人材・機材を例えば海洋ゴミの回収作業といった他のものに全面的に振り向けられるような時代が早急に来ることを願っている。