「女性が結婚を考えるのは、必ずしも好きな人ができたときとは限らない」と語るのは、男女の事情を長年取材し著書多数のライター・亀山早苗さん。現実逃避から“逃げ婚”に走った女性の行く末を、亀山さんがレポートします。(以下、亀山さんの寄稿)
◆結婚を“逃げ場”にしたがる女性
女性が結婚を考えるのは、必ずしも好きな人ができたときとは限らない。むしろ、「結婚で人生を変えたい」「とりあえず現状から逃げたい」も大きな要因となる。
「私がまさにそう。完全に“逃げ婚”でしたね」
そう言うのはタカコさん(34歳)だ。大学を卒業して入った会社が、かなりのブラック企業で、残業につぐ残業に耐えかねて3年で辞めた。3年もったのは同期で彼女だけだったという。
「半年ほど休んで就職先を探したけど、再就職となるとなかなかうまくいかなくて。結局、契約社員で広告関係に潜り込みました。仕事は楽しかったけど、やはりここも労働環境が悪すぎた。それでもがんばってはいたんですよ。
そのうち学生時代の友人たちがどんどん結婚していくようになって。ああ、私も結婚したらここから逃げられる、今とは違う人生が待っている
と思ったんですよね。お金もないし、当時住んでいたアパートはやたら大きなゴキブリが出るし、もう精神的に参っていました」
そんな折、友人の紹介で知り合った2歳年上の男性と28歳のときに電撃結婚。知り合って半年のスピード婚だった。
「彼は大手企業に勤めていたし、とりあえず専業主婦でもいいと言ってくれた。わりとおっとりしていて意地の悪いところもなかったから飛びついたんですよね」
いつかマイホームを買うために、彼の会社の借り上げマンションに住んだが、実質的にそこは社宅のようなもの。たまたま一軒置いた隣が彼の上司の家だったから、かなり窮屈(きゅうくつ)な思いをした。
「それはしかたがないことだと割り切れたんですが、彼の態度が納得いかなかった。『専業主婦なんだから、上司の家に行って奥さんを手伝ってほしい』とか、『土曜日に上司の家でパーティがあるから手伝って』とか、あんたは上司のために生きているんかい、というくらい気を遣っている。忖度(そんたく)ですよね(笑)」
「自分が逃げで結婚していて恋愛感情があったわけではないので、彼もそうだと思っていたんです。まあ、嫉妬は愛情ではないから、彼も私を愛していたわけではないと思うんですが、支配欲が強かったのかな。
上司の件もあって、私も仕事に出たほうがストレスが減ると思ったので、結婚して3ヶ月くらいたって仕事を探し始めたんです。すると彼は『どんな会社に行ったの? 面接官は男だった?』とか、大学時代の先輩に会いに行くと言うと『男?』とすぐ聞くし。
ちょっとでも帰りが遅くなると、どこに行って何をしていたのか分刻みで聞こうとする。ブラック企業並に監視されてるわ、と思いました」
食べ物の好みの違いなども大きかった。彼は専業主婦で料理好きの母親に育てられたこともあり、インスタントのダシを使ったら「こんなもの食べられない」と言われたそうだ。
「ことごとく合わない、生活していくのは無理だとさっさと再就職を決めて、半年足らずで別居しました。一応結婚式を挙げてしまったので、かっこわるいから1年は待ってほしいと言われ、部屋を借りる初期費用だけは夫が出してくれて。彼も悪い人じゃなかったし、こんな結婚生活になるとは思っていなかったでしょうね。私が逃げ婚をしたのがいけなかった」
結局、誰かに頼っても別のストレスが生まれるだけなのかもしれない。だったら、自分に降りかかってくる困難は自分で払ったほうがマシだとタカコさんは笑った。
◆母から、育った環境から逃げたくて結婚子どもの頃から母親の過干渉にうんざりしていたアユミさん(32歳)。彼女の母親はかなり強烈である。
「社会人になって3年目の25歳のころ、ひとり暮らしをしようとしたら『あんたが家を出ていくなら、私を殺していきなさい』なんていうような母親ですよ。本当にやりそうだから怖くて出られなかった。母はことごとく私の人生をつぶしてきたんです。こんな親から逃れるには結婚しかないと思った」
「SNSで彼が見つけてくれたんですよ。実は私、高校時代、ちょっと彼のことが好きだったの。それもあって早速会おうということになって」
当時好きだったとはいえ、それほど彼のことを深く知っていたわけではない。だが、高校を卒業して10年近くたっていたこともあり、話は弾んだ。
「彼は自営業。WEB関係の仕事をしていると。実は再会したその日、そのまま彼の部屋に行って住み着いちゃったんです。親は大騒ぎでしたけど、1ヶ月後には双方の親と私たちだけで食事会をして、婚姻届も書いて提出しました。これで母親から逃れられる。私の人生は私のものだと開放的な気持ちになったのを覚えています」
◆“逃げ婚”の罠にはめられていたと気づく
彼女は正社員、彼はフリーランスだから、家事はほとんど彼がやってくれた。いきなりの同居だったため、生活が落ち着いてきたころ彼女は経済的な分担について彼と話し合おうとした。
「すると彼、実はほとんど収入がないと言い出して。家賃はどうしているのか聞いたら、そのマンション、彼の親名義だったんです。ときどき生活費ももらっていたみたい。彼にどういう仕事をしてきたのか尋ねても、ろくに形が残っていない。これはどうしたものかと悩みました」
しばらくすると彼の親から家賃の催促がきた。今までは息子ひとりだったからめんどうをみてきたが、これからはあなたが責任をもって家賃を払ってほしい、と。
「愕然(がくぜん)としましたよ。家賃が出なくてすむなら、彼の生活のめんどうくらい見てもいいかとちょっと思っていたんですが、家賃も生活費も私の負担ではとてもやっていけない。だからといって彼は別の仕事に就く気もない。逃げ婚しようとした私が、彼の逃げ婚に逆にはまってしまった。もう笑うしかありませんでした」
そんなことならひとりで暮らしたほうがよほどマシだと、彼女はシェアハウスを探してすぐに引っ越した。彼は経済的なことだけではなく気持ちも彼女に依存していたのだろう。警察に捜索願いを出した。
「両方の親を巻き込んで大変な目にあいました。結局、調停にまでなって2年かかってやっと離婚できた。ただ、唯一よかったのは私が離婚したから、母親が私を見放してくれたこと。これからひとりで生き直します」
“逃げ婚”は、あとから考えれば「逃げだったな」と気づくことが多いようだ。そのときは、過酷な状況にいればいるほど、これで未来が開けると信じてしまう。「自分」を活かすことができる結婚、もっと自由な気持ちになれる結婚でなければ、人は今より幸せにはなれないのではないだろうか。