西城秀樹さん享年63で早逝

5月17日、西城秀樹さん(享年63)の臨時訃報が飛び込んで以降、TV各局では、最初の脳梗発症(48歳)時からリハビリに励む映像が繰り返し流された。

その闘病姿は、若い頃から人一倍カッコよさにこだわって大衆を魅了してきた大物スターの、あまりにも潔い病後の赤裸々像であり、ある種の「遺言」とさえ思える。

脳梗塞は、脳出血と並ぶ脳卒の範疇の一つだ。高血圧や糖尿病などの生活習慣病、心臓病などが原因で脳の血管が詰まり、血液が通わなくなり、脳がダメージを受ける。

48歳に初めて脳梗塞に見舞われた後、芸能生活40周年を迎えた56歳で再発した西城さん。過去の体験から脳梗塞の知識があっただけに、右手右足の痺れに「怖かった」「殴られた後のような感じが続いて、そのまま半年間は立ち直れなかった」と、週刊誌の取材で語っている。

再発、思うように動かない体を直視せざるえないリハビリの日々……脳梗塞の再発率は50%ともいわれており、患者は、再び脳梗塞に見舞われるかもしれないという不安は続く。

まさかの再発に「死んじゃいたい」

理学療法士として脳梗塞患者のリハビリテーションを行ってきた三木貴弘氏に、脳梗塞発症からのリハビリの重要性や難しさ、後遺症の実態を訊いた。

「脳梗塞の障害は『麻痺』が代表的です。麻痺が起きると、筋肉の緊張が異常に強くなったり、反対に弱くなってしまったりして、手や足が思い通りに動かなくなります。脳梗塞はたいてい脳の片側に起きます。麻痺は、梗塞が起きた脳の反対側の手足に生じます」(三木氏)

西城さんの場合、再発によって右半身麻痺が起きた。当時は歩く気力もなく、努力する気も起らず、「落ち込むとか、そういう程度のもんじゃない。『あ、死んじゃいたい』って思うほど」と、思いつめた当時の苦境を語り遺している。

しかし、もう一度奮起して日課の公園を散策した際、同じ脳梗塞でリハビリに励む老婆の姿に魅せられ、西城さんの意欲が復活。追悼番組でも紹介された、リハビリの日々が始まった。

「脳梗塞が生じても、リハビリテーションによって麻痺の改善は可能です。どの程度まで回復するかは、重症度や発症からリハビリ開始の時期などで異なります。後遺症が残らないレベルまで回復する人もいます。適切なリハビリはとても重要です」(三木氏)

やがて、自らの体験を活かそうとリハビリにも使えるウオーキングシューズを監修するまでに、本来の不屈さを取り戻した西城さん。その境地に至るには、発声もままならず、指でおはじきを選り分ける作業にも難儀して、「一時はうつ状態に陥った」と明かしている。

「死にたくなるほど辛かった」理由とは

「脳梗塞は治療の過程で多くの人が、うつ状態になる。これもこの病気のやっかいな点だ」「リハビリは全部つらい」「やさしいものは何一つない」(西城さんの談話)に対し、三木氏によると、

「リハビリでは基本的に、本人が根を上げるほどの辛い負荷は必要としません。しかし、発症前には難なく行えた動きや課題ができず、精神的に『死にたくなるほど辛かった』のは想像に難しくありません。そこで大切なのは、家族をはじめとする周りの支え。リハビリの専門家が、身体面にかぎらず精神的な支えの役割を果たすことはよくあります」

脳梗塞患者にとっては、「言葉の麻痺」のリハビリも重要だ。

救いとなった「歌には4分、8分……音符がある」

「脳梗塞の後遺症には、身体(片麻痺)に加えて『言葉が理解できない』『言葉がうまく出てこない』などの『言葉の麻痺』があります。これは脳の損傷箇所によって変わります」(三木氏)。

身体の機能回復と合わせて言語機能のリハビリとの連携について、こう説明する。

「言語聴覚士は、『言葉がうまく出てこない』後遺症にスピーチセラピーなどを用いて指導します。身体と言葉の後遺症は別個ではなく、患者さんが抱える『その人の問題』。多くの場合、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士がチームとなり、カンファレンス(患者に関する会議)を通じてリハビリを進めていくことになります」

声を出す喜びに再び目覚め、「話す場合は難儀でも、歌だとひっかからない不思議さ」に気づいた当時の感慨を西城さんは、「歌には4分音符、8分音符……と、音符がある。それがあることが僕の救いになりましたね」と後述している。

死してなお、彼特有の存在感を覚えさせる談話である。が、そんな稀代の歌手もザ・ビートルズが「64歳になっても僕を必要としてくれるかな(When I’m Sixty Four)」と歌った年齢には一歩及ばず、永遠の眠りについた……。