別れは悲しいものです。
離婚、一家離散。
友人や恋人との別れ。
近しい人やペットの死。


どんな別れにも喪失感が伴います。特に死別はそれが大きい。場合によっては、社会生活を営むことが難しくなってしまいます。
悲しみの度合いには個人差がありますが、別れにより生じた心身の変化は正常な反応。だから、それだけでうつ病と診断されることはありません。


でも、その出来事がきっかけで、心身のバランスを崩してしまうことはあります。さまざまな問題を抱えていたときには特にそう。
悲しみに打ちひしがれて、すべてが無意味に思えたとき、ここに書いてあることはあなたをいら立たせるだけかもしれません。
それでも、私が別れを経験して感じたことがあります。
別れのつらさを消し去ることはできませんが、自分を責めることしかできず、苦しんでいる方に、私の気持ちが少しでも伝われば嬉しいです。


大切なものを失う悲しみ
かけがえのないものを失う。悲しいのは当然です。それは自分の一部を失うことと同じだから。
どんなにわずかに思えるものでも、自分の身体をもがれるときには痛みが伴います。

 

自分を占める割合が大きければ大きいほど、痛みは大きくなる。「心にぽっかり穴があく」という表現がありますが、まさにその通り。
指がなくなる、足を切断する、視力を失う、髪の毛が抜け落ちる……その喪失感は経験した人にしかわかりません。


「もう会えない」
寂しい……。


楽しかった日のこと、何気ない出来事が次々と思い出されます。そのとき感じた喜怒哀楽が、今ここにある心を揺さぶります。すると、別れの事実はますますはっきりと浮かび上がります。
あぁ、やっぱり悲しいね……。


すべてのものは変化する
傷が癒えるまでには時間がかかります。止血をしたら、あとはそっと見守ることしかできない。
傷口をいじると、治りが遅くなります。痛みを抱えながら、過ごさなければいけない。とてもつらいことです。


そんなときには慰めにもならない言葉ですが、「時間が薬になる」。これは本当にそう。つらいときに言われると、「あなたに私の何がわかる!」と腹立たしく思ってしまうこともあるんですけどね。


完治しなかったとしても、必ず何かしらの変化が訪れることは間違いありません。
そして、傷を負った者にしかわからない心情を知る。このことが生きる糧となり、あなたを強くさせることでしょう。

 

別れがこんなにつらいなら出会わなければよかった?

別れのつらさはきっと誰もが知っています。感じ方、痛みの大きさは人それぞれ違っても、悲しみという経験は共通です。


「いってらっしゃい」「いってきます」も一つの別れ。だから、幼い子どもは泣きじゃくる。大人はまた会えると知っているから泣かない。
大切なものが自分から離れて二度と戻らない。


その痛みを知ると、失うことが怖くなります。「こうであってほしい」が叶わない。そういうことを考えるのはつらすぎて、現実から目を背けたくなる。


でも、失うことができるのは、自分がそれを持っているから。何も持っていなければ、失うことも悲しむこともありません。
そんなこと言われても、こんなにつらいなら何もいらないと叫びたい。大切なものを失うのは本当につらいことだから。
それでも現実から少し距離を置いて見てみると、何かを大切にできることは素晴らしいことじゃないかと思うのです。誰かを大切にすることは、自分を大切にすることでもある。やっぱりそれは素晴らしい。悲しいことだけれど、そう感じるあなたは美しい。
痛みを知ってはじめて、それが大切だったと気づく。そして、後悔する。それは心の傷となって、いつまでもあなたを苦しめるかもしれません。


でも、相手に向き直って「ごめんね」「ありがとう」と心から思える瞬間、それはやっぱり美しい。
こういった感情は、悲しみとともにじっくり味わうべきものなのではないでしょうか。自分を責めるためではなく、自分を大切にするために。

 

別れの先にあるものは?
人が亡くなると思い出す詩があります。「千の風になって」です。作詞者は不詳。
遺体や骨に“その人”はいない。それは“その人”が遺していった持ち物。
亡くなった人は心の中で生き続ける、とよく言います。


光や雪や鳥や星になって、あなたを見守る。
科学が絶対、目に見えるものを重要視する人たちは鼻で笑うかもしれませんが、昔の人は皆、このことをちゃんと理解していたのでしょうね。そして、今を生きる私たちにもこの感覚が残っているからこそ、この歌はヒットしたのでしょう。
この歌を聴くと、悲しみが絶望になることはありません。悲しみは悲しみであって、否定的なものではない。そりゃ、好んで望むものではないけれど、相手(自分)を大切にした証だと思えば、少しは心も慰められるような気がするのです。


そして、ふと思いました。死んだら風になるのではない、私たちはすでに風なんじゃないか。
風とは、空気の一部のこと。体を構成している小さな小さな細胞の隙間にはその空気が溶け込んでいる。科学的にどうか知りませんが、そう感じます。


その人をその人たらしめていたものはなくなってしまったように感じるけれど、じゃあ、それはどこへ行ったのか?
そう考えたとき、たどり着くのが「千の風になって」。


別れのつらさ。
大切な人を失ったときの悲しみ。
私にとってこれは不思議の対象です。
なぜ別れは悲しいのでしょうね。


最後に。。。
どんなに素晴らしい言葉を授かったとしても、今、嘆き悲しんでいる人の心は簡単に癒えないでしょう。だから私は「つらいよね」としか言えません。いや、それさえも適切ではないかもしれません。
でも、忘れてはいけないことがあります。人は死ぬという前提です。今の状態がずっと続くわけじゃない。命あるものは変化し続ける。だからこそ、出会いや別れがある。


当たり前のことが当たり前に起こっただけ。ついつい忘れてしまいますが、そうなんですよね。
それでもやっぱり悲しい。涙がこぼれる。
それこそが人間の素晴らしさなのかなと思います。


なぜだかわからないけれど、人や世界は存在している。それってすごい。「失うことが悲しい」ではなくて、存在して同じ時を共有できたことがすごい。一期一会ってこういうことなのかな。
だから、自分を責める必要なんてない。後悔は、これからの生き方をよりよくするためのものなのだ。


そんなふうに思います。
日常の生活に戻れば、また忘れてしまうんですけどね。忙しいときこそ、心を亡くすことなく過ごしてきたいものです。