前々職、私が岡山で働いていたときの同僚が約2年振り位に上京。
ミッドタウンにて再会。
「東京へ遊びにいくよ」という連絡を貰ってから4回位「行きたい!」と言われた"Toshi Yoroizuka"のお店。
・・・私、東京に住んでいますが、何のことやら分かりませんでした、、、汗
ケーキ食べるのに予約するの!?
ケーキをカウンターで食べるの!?
持ち帰りのケーキ買うのに外で並んでるの!?
と衝撃的な事実ばかり。
確かに美味しかったけど、紅茶と合わせて2,000円ってどうなんだろう?
私には気取りすぎな気も。
岡山で働いていたとき、私は24歳だった。
東京に実家もあって、職もあった私が岡山で働くことはかなりの不可抗力だった。
遡ること6年前。
当時付き合っていた人が突然「統合失調症」になった。
ある日、臨界点に達した彼は病気がきっかけで傷害事件を起こした。
一番傍にいたはずなのに、彼の変化に気づいてあげられなかった自分を責めた。
飛行機に乗って、留置されていた警察署まで飛んで行ったのが大学卒業間近だった3月の末。
そんなことと無縁で生きてきたはずな自分が調書をとられたり、所謂「ガラス越し」の面会をしたりした。
結局精神鑑定の結果、釈放→強制入院となった彼。
事件を起こしたのがたまたまたその県だったため、そこの病院に入院せざるを得なくなった。
当初は妄想や幻覚がひどくて、隔離室に入れられていた。
部外者は勿論入れないけれど、檻の中で彼は暴れ、叫び、完全に狂った。
薬で症状を抑え、妄想や幻覚は出なくなってきたはいいが、次は消耗期へ。
病気という紛れもない事実、一瞬にして崩れ去ってしまった夢、薬のせいでいうことが利かない体。
東京で働く私に泣きながら「死にたい」と電話してきた彼。
今思えば、大胆な決断だったけど、3ヶ月で仕事を辞め、彼の近くにいようと遠い遠い街へと引っ越した。
知り合い一人としていない土地。
精神病院に通い、意気消沈する彼と過ごす毎日。
入院は1年と言われ、現地で職を探すことにし、行き着いたのが前々職。
でも、内定が出たその日に、驚異の回復をした彼が退院することが決まり(その後、保護観察のもとで療養しないといけないため、これまた別の県の親御さんの元へ)、人生の皮肉を痛いほど味わった自分。
せっかく仕事も決まったし、地方で働く経験もいいだろうと思い、「配属先はどこでもいいです」と言った結果、いきついたのが岡山県。
これまた誰一人として知り合いのいない土地でのスタート。
結局、退院してからが一番お互い辛かった。
月1回、病院にいく以外は岡山に来ていた彼。
自分の人生終わりだと朝から晩まで布団をかぶって私のアパートでひきこもる彼と、仕事でノルマ・ノルマに追われ擦り切れていった私。
正直、勘弁して!と思うことも多々あったけど、全て受け入れようと心を無にした。
そのとき自分は24歳。
よく出来たよなぁ・・・。
紆余曲折し、この病気にしては最速、且つ、奇跡的に晴れて彼は社会復帰。
私も仕事を辞め、東京へ戻った。
その後更に紆余曲折し、結局彼とは全部で5年付き合ったところで終了。
今はもう、連絡先も知らなければ、何をしているのかも知らない。
ネガティブな感情を抱いてしまったこともあったけれど、今ではその人にとても感謝をしている。
まず第一に、岡山で沢山の素敵な知り合いに巡り会えた。
その人たちとはこの先、何らかの形で一生付き合いが続いていくと思う。
そして、ちょっとやそっとでは絶対経験出来ないことを体験・チャレンジさせて貰った。
そのときの経験が今の私を作っている。
あれが出来たのだから・・・と自分への自信にもつながっている。
24歳の自分に起こった出来事。
全ては偶然にして必然。
「貴方があって私がいる、私は貴方に生かされている」
心の指針は、そのときに生まれた。
少なくとも今まで生きてきた中で一番辛かった時期。
その時期に、一緒に働いていた彼女とセレブなスイーツを食べながらの近況報告。
天職と思える仕事に出会い、毎日幸せに生きていられること。
私は何かこう、とてつもなく大きな存在に、ただただ感謝している。
