日曜日は

公園へ散歩に行きました。


この日はいいお天気で

楽器の練習をしている人がいて

あちらこちらで

楽器の音が聞こえて

いました。

何の楽器かなぁ?


トロンボーンかな?

トランペットかな?


我が子は

楽器の音は好きです。


支援学校中学部の時は

ギターの音に興味があるようだと

先生がギターを練習して

子供に聞かせてくれていました。


先生は

ギターは初めてだということで

我が子に聞かせてくれるために

わざわざギターを買って

練習してくれていたことを知り

良い先生に出会えたことを感謝し、

そして、先生に

大切にされている子供を見て

とても頼もしく感じたことを

思い出しました。

懐かしい思い出です。





散歩中は

立ち止まって

聞こえてくる楽器の音色を

じっと聴いていたり

音を楽しむ様子を見て

とても嬉しく思いました。


楽器の音色を

興味深く聴いている姿は

とても可愛くて

見ているこちらも

嬉しくなりました。



娘の

こんな姿を見ていると

日本に蔓延っている

障がい者の概念は

本当にデタラメもいいところだと

思うのです。


この子の

音楽を楽しんでいる様子は

穏やかで

興味深げで

何処から見ても

不幸とは無縁だし

可哀想とも思わない。



親がいなくなった時

誰も見てくれる人がいないと

思う人もいるかも知れない。


でも

周りには

優しい人は沢山います。




助けてもらってばかりで

厄介者だと思う人も

いるかもしれない。


障がい者へ使われる

税金は

全体の約1%だそうです。


我が子のような

障がい者は

そのささやかな

1%の中の一部を

国から支給され

そのお金を使って

支援して下さる人達へ届き

お給料となり

そのお給料で

支援員の方々は

色々なものを買って

地域にお金を払って下さり

そのお金は巡り巡って

また税金として払われるという

雇用を助け

お金の循環を担っています。


そして

障がいがある人達で作られた

福祉制度やケアなどは

私達が困った時に助けてくれる

制度です。


これだけで

お金を循環させ

立派に社会を

助けていますよね。


障がい者は

不幸でもないし

可哀想でもない。


こんな当たり前の事実に

気がついて行くことは

とても意味のあることだと思います。


そして

障がいのある人達が

安心して暮らせる社会は

誰もが

安心して暮らせる社会です。



今現在は

政治家や官僚の政策の不平不満が

弱者の障がい者へ向かう

不寛容な社会ですが

少しずつでも

支え合う、認め合う

優しい社会になっていけば

良いなと心から

思います。



そのために

自分の足元から

周りから

出来ることから

行動して行けたらと

思います。

待っているばかりでは

そんな日はなかなか来ません。


想いと行動が

現実を創っていきます。


貴方の願う現実は

どんな現実ですか?



願う現実に

少しでも近づいていきたいですね!