ときは17世紀初めの英国
前の子なしの大王エリザベス一世が亡くなって後釜のいなくなったイギリスの王家テューダー家
イギリス議会はスコットランド王スチューワート家のジェームス君に白羽の矢をたてました。
ジェームス君がスコットランドからロンドンに向かう途中にクロムウェル家の家に泊まりました。クロムウェル家には五歳くらいの子オリバー君がいました。
またジェームス君にも同じとしくらい年の子チャールズ君がいました。二人は無邪気に遊んでいました。
20年後イギリスの王として王=神と勘違いして議会の人に怒られていたジェームス君が亡くなりました
そこで息子チャールズ君がチャールズ一世としてイギリス王になりました。
チャールズ君も調子にのって王=神と勘違いし、議会の人に怒られました。怒ったチャールズ君は議会を解散してしまいました。
それから10年後、相変わらずチャールズ君のイマイチな政治が続いてました。
そんなある時チャールズ君のもう一つの国スコットランドでチャールズに対して反乱が起きました。
それを何とかするお金が欲しくなったチャールズ君は議会を久しぶりに開きました。
そこでも議員の人にチャールズ君は怒られるだけでまた解散してしまいました。
そんななかスコットランドの反乱をしてた人がイングランドに入ってきたのでまたチャールズ君は議会を開きました。
議会の人達はチャールズ君に大抗議という文書を出しました。これに怒ったチャールズ君はついに議会と武器を使って喧嘩を始めました。
チャールズ君派はロン毛のお金持ちの集まりでした。
議会派はおかっぱ頭の無欲な人の集まりで王なんかいらね~と言って団結してました。
この対決が後にピューリタン革命と呼ばれました。
最初はいい感じに互角の戦いが続いてました。
戦いが激しくなる中マームストンムーアの戦いで議会派は勢いにのりました。実は議会派にオリバー君がいてその戦いで大活躍しました。鉄騎隊とかいうのを使ったそうです。
それから議会派はネーズビーの戦いでついにチャールズ君を捕まえました。
チャールズ君にが捕まえられてからRumpこと尻議会が開かれました。英和辞典にのってます。
その議会で一番偉い人として指揮をとったオリバークロムウェル君がチャールズ君に処刑を命じました。
40年前には無邪気に遊んでた二人の悲しく残酷な結末でした。
それから数年間オリバー君はイギリスを護国卿として引っ張ってきました。
そしてオリバー君も病気で亡くなりました。
それからイギリスにフランスに逃げてたチャールズ君の息子チャールズ二世がやってきて王様になりました。
イギリスの人かにとってオリバー君の厳しすぎる政治が窮屈すぎたようです。
チャールズ二世これまたチャールズ君はフランスのルイ14世君に憧れていてカトリック教会の復活をルイ君と約束していました。
チャールズ君はおじいさん、お父さんと同じように王=神だと言い始めました。
また怒ってお父さんにあんな目に合わせた人を処刑してしまいました。そしてその怒りの矛先はオリバー君に向けられました。
なんとチャールズ君はオリバー君のお墓を掘り亡くなったオリバー君を処刑しました。
体=骨を細かくして川に流してしまいました。
そして顔はどうなったかというと・・・
なぜか300年以上たった今もきれいに残っているのです。ほとんど生きてた頃のままらしいです。
みたい人はぜひイギリスのどっかの博物館に足を運んでみてはいかが~
昔の塾の先生が語ってくれた、むか~しむかしの話でした。
そしてチャールズ君のそのまた息子のジェームス二世ことジェームス君は名誉革命と呼ばれるもので娘のメアリーちゃんとその旦那さんのオランダ人、ウィリアム君にイギリスから追い出されてしまいました。
それで後に二人の娘アンちゃんはまた独身の子なしのまま亡くなりました。
こうしてドイツからハノーヴァー家のゲオルグ君ことジョージ一世が王様になり、今から百年くらい前にハノーヴァーという名前をイギリス風のウィンザーに変えて今のイギリスの王室があるんです。
おわり
前の子なしの大王エリザベス一世が亡くなって後釜のいなくなったイギリスの王家テューダー家
イギリス議会はスコットランド王スチューワート家のジェームス君に白羽の矢をたてました。
ジェームス君がスコットランドからロンドンに向かう途中にクロムウェル家の家に泊まりました。クロムウェル家には五歳くらいの子オリバー君がいました。
またジェームス君にも同じとしくらい年の子チャールズ君がいました。二人は無邪気に遊んでいました。
20年後イギリスの王として王=神と勘違いして議会の人に怒られていたジェームス君が亡くなりました
そこで息子チャールズ君がチャールズ一世としてイギリス王になりました。
チャールズ君も調子にのって王=神と勘違いし、議会の人に怒られました。怒ったチャールズ君は議会を解散してしまいました。
それから10年後、相変わらずチャールズ君のイマイチな政治が続いてました。
そんなある時チャールズ君のもう一つの国スコットランドでチャールズに対して反乱が起きました。
それを何とかするお金が欲しくなったチャールズ君は議会を久しぶりに開きました。
そこでも議員の人にチャールズ君は怒られるだけでまた解散してしまいました。
そんななかスコットランドの反乱をしてた人がイングランドに入ってきたのでまたチャールズ君は議会を開きました。
議会の人達はチャールズ君に大抗議という文書を出しました。これに怒ったチャールズ君はついに議会と武器を使って喧嘩を始めました。
チャールズ君派はロン毛のお金持ちの集まりでした。
議会派はおかっぱ頭の無欲な人の集まりで王なんかいらね~と言って団結してました。
この対決が後にピューリタン革命と呼ばれました。
最初はいい感じに互角の戦いが続いてました。
戦いが激しくなる中マームストンムーアの戦いで議会派は勢いにのりました。実は議会派にオリバー君がいてその戦いで大活躍しました。鉄騎隊とかいうのを使ったそうです。
それから議会派はネーズビーの戦いでついにチャールズ君を捕まえました。
チャールズ君にが捕まえられてからRumpこと尻議会が開かれました。英和辞典にのってます。
その議会で一番偉い人として指揮をとったオリバークロムウェル君がチャールズ君に処刑を命じました。
40年前には無邪気に遊んでた二人の悲しく残酷な結末でした。
それから数年間オリバー君はイギリスを護国卿として引っ張ってきました。
そしてオリバー君も病気で亡くなりました。
それからイギリスにフランスに逃げてたチャールズ君の息子チャールズ二世がやってきて王様になりました。
イギリスの人かにとってオリバー君の厳しすぎる政治が窮屈すぎたようです。
チャールズ二世これまたチャールズ君はフランスのルイ14世君に憧れていてカトリック教会の復活をルイ君と約束していました。
チャールズ君はおじいさん、お父さんと同じように王=神だと言い始めました。
また怒ってお父さんにあんな目に合わせた人を処刑してしまいました。そしてその怒りの矛先はオリバー君に向けられました。
なんとチャールズ君はオリバー君のお墓を掘り亡くなったオリバー君を処刑しました。
体=骨を細かくして川に流してしまいました。
そして顔はどうなったかというと・・・
なぜか300年以上たった今もきれいに残っているのです。ほとんど生きてた頃のままらしいです。
みたい人はぜひイギリスのどっかの博物館に足を運んでみてはいかが~
昔の塾の先生が語ってくれた、むか~しむかしの話でした。
そしてチャールズ君のそのまた息子のジェームス二世ことジェームス君は名誉革命と呼ばれるもので娘のメアリーちゃんとその旦那さんのオランダ人、ウィリアム君にイギリスから追い出されてしまいました。
それで後に二人の娘アンちゃんはまた独身の子なしのまま亡くなりました。
こうしてドイツからハノーヴァー家のゲオルグ君ことジョージ一世が王様になり、今から百年くらい前にハノーヴァーという名前をイギリス風のウィンザーに変えて今のイギリスの王室があるんです。
おわり