旧『猿の惑星』5連発

 

『猿の惑星』(1968年 フランクリン・J・ファフナー監督)

 もうネタバレでも何でもないと思うから言いますが、猿が支配するその惑星は実は未来の地球です。今の人が観ると、英語が通じた時点でソッコーで丸わかりじゃん、という事になるのですが、時代は60年代です。エジプト人だろうが、古代ローマ人だろうが、ハリウッド映画の公用語は英語で当然という思い込みがあった時代です。その裏をかいた逆転の発想が通用した、ニ度と再現できないコンセプト。

 

 

『続・猿の惑星』(1970年 テッド・ポスト監督)

 第1弾の世界的な大ヒットからの第2弾です。核兵器のために廃墟となったニューヨークの描写が「核戦争後の地球」というシチュエーションの本格的な映像化として各方面に多大な影響を与えました。これも今となっては「どこかで見たぞ」という定番の映像なので、新鮮味は薄いでしょう。しかし、最終兵器を主人公が起動させて地球を吹き飛ばすというバッドエンド。救いが無い結末ですが、傑作です。

 

 

『新・猿の惑星』(1971年 ドン・テイラー監督)

 物語は前作の続きでありながら、知能の発達した未来の猿たちがタイムスリップで過去の地球(つまり現代の地球)に来てしまうという・・・ええい、ややこしいわ!製作費の削減のために猿を3人だけにして特殊メイクの手間と費用を大幅に減少させるところから始まった作品作りでしたが、人種差別問題を正面から描く事に成功。ここで生まれたマイロという猿が生き延び、次作にシーザーとして登場。

 

 

『猿の惑星・征服』(1972年 J・リー・トンプソン監督)

 疫病により犬や猫などの小動物が死滅した1991年が舞台です。疫病を生き延びた猿たちが、ペットとして広く人間社会に浸透するという状況が設定されました。その疫病の影響か、猿たちは調教次第で高水準の作業ができる事が判明し、奴隷として使役される事態に。未来の猿の子孫・シーザーは、猿の不遇と人間の身勝手に怒りを燃やし、仲間を扇動、反乱を決起、人間と猿の全面戦争が始まります。

 

 

『最後の猿の惑星』(1973年 J・リー・トンプソン監督)

 人間と猿の全面戦争は核戦争に発展し、ミュータントとなった人間と、知能の拡張した猿たちは、互いに地球の覇権を巡って泥沼の戦いを繰り広げます。突然「猿は猿を殺さない」という掟が設定され、悪役がこれを破り、「猿が猿を殺した」という呪文のような責め苦に苦しむという御都合主義的な展開で形ばかりのハッピーエンドに持っていってしまいます。ネタ切れだと小学生にも分かる薄いドラマ。